カサダ

猫
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15

 僧は茶を一度すすり、静かに言った。
 「おぬしはすっかりとりつかれているようだ。よし、これも何かの縁だ。わしも同伴いたそう」
 その言葉が正太郎には頼もしく聞こえた。正太郎は久しぶりに晴れやかな気持ちで宿を出た。
 正太郎と僧は山を越えなければならなかった。昼なのにうっそうと生い茂って暗かった。松や柏の木が上からかぶさろうとしているようだった。時々熊笹ががさがさっと音を立てて揺れ動いた。いたちか狸があわてて走ったのかもしれない。
 峠道は険しく長かった。ますます暗くなり、雨まで降ってきた。正太郎は何度も足を滑らし、泥だらけで、寒くて、心細くなりながら、磯良のことを思った。自分に裏切られ、将来への展望が見えなくなった磯良は、どんな気持ちで暮らしてきただろう。どんなに心細かったことだろう。正太郎は涙を流しながら歩いた。磯良を償いたい思いでいっぱいだった。また滑った。正太郎はずるずると滑り落ちていく。このままどこまでも落ちていきそうだと思った瞬間、僧の手が腕をがっしりつかまえた。
 「何ともないか?」
 「はい。どこも大丈夫です」
 正太郎は斜面をよじ登り、もとの山道を歩いた。間もなく山道を抜けた。いつの間にか日が暮れていた。
 里まではわずかだった。正太郎は懐かしいような、うしろめたいような気分に襲われた。
 ついに生家が見えた。雨はやみ、十三夜の月が出ていた。灯はただ一つを除いて落ちていた。正太郎が磯良と睦まじく暮らしていた離れだけが、まるで正太郎を待っているかのように、赤々と灯っていた。
 僧が立ち止まった。それにつられて正太郎も止まった。正太郎は僧の顔を見た。鋭い眼差しは生家の離れを凝視していた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 カサダ
◆ 執筆年 2001年7月8日