カサダ

猫
prev

21

 しかし、万が一、磯良の言っていることが正しかったとしたら、取り返しのつかないことになる。そう思って、正太郎は立ち上がった。外に出て、母屋の家人に会おうと思ったのだ。そこに気づいたら気が軽くなった。両親と話をすればすべてがわかるではないか。気づいてみたら簡単なことだった。
 正太郎は衣服を整え、障子を開き、廊下に出た。
 「どこに行くの?」
 うしろから強い語気で磯良が咎めた。正太郎は振り返らずに歩いた。玄関にはおみつが待ち構えて、両手を開き立ちはだかった。横で小菊が威嚇するように鳴いた。正太郎はすり抜けて玄関の戸を開けようとしたが、おみつにつかまれてしまった。しばらく格闘してどうにかおみつの手を振りほどき、戸を開けた。
 磯良が立っていた。
 目がつり上がり、まるで牙をむくような形に口を開けていた。外は朝にはなっていなかった。僧と別れた時とまったく同じ位置に十三夜の月があった。あれからほとんど時間が経っていないのだろうか。鬼のような顔で今にも自分に飛びかかろうとする磯良の前で、恐怖のあまりぼうっと麻痺してしまった頭のどこかで、正太郎はぼんやりとそんなことを思っていた。
 僧はあせっていた。相手はとても自分のかなう者ではないと思った。しかしやれるだけのことはやらねばならない。正太郎に約束した以上は、それが無理だとわかっても逃げ出すことは許されない。それは僧の信条だった。
 僧は法力をこめた札を磯良の座敷の周囲の木々に貼っていった。ついに屋敷の柱や壁にまでも貼ることができた。読経しながらゆっくり歩いていくと、玄関から出てきた正太郎を磯良がにらんでいるのが見えた。次の瞬間、磯良は正太郎に飛びかかり、腕の肉を食いちぎった。その箇所から大量の血が吹き出て、痛さのあまり正太郎は転げ回った。しかし、まだ正太郎は何も言わない。磯良は真っ赤な口でわめいた。
next

【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 カサダ
◆ 執筆年 2001年7月8日