カサダ
20
正太郎は首を振った。磯良の一言一言を真剣に聞き入っていた。
「どんなことがあっても口をきいてはいけない、と約束させるそうよ」
正太郎は、頭が混乱してきた。一昨日出会った僧が信じられなくなってきている自分が少し顔をもたげたのだ。
「その約束を遂行した人は、すっかり賊の意のままになって、何を言われても、何をされても変だと思わなくなるんだって。頃合を見計らって現われて、身内を殺すらしいわ。でもその人には久しぶりに会った身内が、賊の魔術で魔物に見えているから、むしろ助けられたと感じるの。そうして、すっかり従順になった相手を簡単に殺して、家にあるものをすっかり持っていってしまうの。この賊のために本当にこの郷の人たちは頭を悩ましているのよ」
正太郎は、訳がわからなくなり、ぼうっとしてしまった。
「あなた、このひどい賊の魔術から抜け出す方法は声を出すことなんですって。それも愛する人の名を呼ぶこと」
しかし、正太郎は決して声を出さなかった。磯良はしばらくの間、名を呼んでほしいとせがみつづけた。しかし、正太郎が頑として声を出さないので、がっかりしてうなだれた。磯良は目を伏せた。畳にぽつぽつ音を立てて涙がこぼれた。
「あなたは今ではわたしを愛していないかしら。あなたはわたしの名は呼んでくれないかしら」
正太郎は、磯良に泣かれて困りきった。目の前の磯良を真実に思いたい。そして、名を呼び抱きしめてやりたい。しかし、僧の言葉が強烈に蘇ってきて、それをかろうじて思いとどめさせた。「あれはこの世の者ではない。どうにかして口を開かせようと、いろいろな手を使ってくるだろうが、気持ちを強く持って思いとどまれ」僧の声を思い出すと、そちらの方が真実味があるような気がする。現実感があるのだ。それに対して、この朝の磯良の寝床は現実味が薄い感じがする。目の前の磯良が、さっきよりもずっと現実感のないものに見えてくる。体を震わせて泣いているが、それがからくり人形のようだ。
「どんなことがあっても口をきいてはいけない、と約束させるそうよ」
正太郎は、頭が混乱してきた。一昨日出会った僧が信じられなくなってきている自分が少し顔をもたげたのだ。
「その約束を遂行した人は、すっかり賊の意のままになって、何を言われても、何をされても変だと思わなくなるんだって。頃合を見計らって現われて、身内を殺すらしいわ。でもその人には久しぶりに会った身内が、賊の魔術で魔物に見えているから、むしろ助けられたと感じるの。そうして、すっかり従順になった相手を簡単に殺して、家にあるものをすっかり持っていってしまうの。この賊のために本当にこの郷の人たちは頭を悩ましているのよ」
正太郎は、訳がわからなくなり、ぼうっとしてしまった。
「あなた、このひどい賊の魔術から抜け出す方法は声を出すことなんですって。それも愛する人の名を呼ぶこと」
しかし、正太郎は決して声を出さなかった。磯良はしばらくの間、名を呼んでほしいとせがみつづけた。しかし、正太郎が頑として声を出さないので、がっかりしてうなだれた。磯良は目を伏せた。畳にぽつぽつ音を立てて涙がこぼれた。
「あなたは今ではわたしを愛していないかしら。あなたはわたしの名は呼んでくれないかしら」
正太郎は、磯良に泣かれて困りきった。目の前の磯良を真実に思いたい。そして、名を呼び抱きしめてやりたい。しかし、僧の言葉が強烈に蘇ってきて、それをかろうじて思いとどめさせた。「あれはこの世の者ではない。どうにかして口を開かせようと、いろいろな手を使ってくるだろうが、気持ちを強く持って思いとどまれ」僧の声を思い出すと、そちらの方が真実味があるような気がする。現実感があるのだ。それに対して、この朝の磯良の寝床は現実味が薄い感じがする。目の前の磯良が、さっきよりもずっと現実感のないものに見えてくる。体を震わせて泣いているが、それがからくり人形のようだ。