ロコモーション

BEETLE
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26

 剛はおばの家に入り、メモ用紙とボールペンを借り、令子のところへ持っていき、手渡した。
 令子は玄関の前で住所と電話番号を急いで書いた。
 剛の父は怒りだした。
 「不良の家に手紙をだす必要はない!」
 彼は令子の細い腕をつかみ、メモ用紙とボールペンを取り上げようとした。
 「兄さん、いくらなんでも、それはかわいそうだよ」
 知佳は真剣な顔で久雄の手を令子から放した。
 「しょうがねえな、チカが言うんじゃ。その代わり、メモはお母さんに渡すんだぞ」
 剛はうなずくしかなかった。彼は悲しそうな目をしてうなずいた。
 令子が書き終わったメモを剛に渡そうとすると、久雄が取り上げて、芳江に乱暴に手渡した。それから、彼は自分の家の住所と電話番号を書こうとしていた剛の手からメモ用紙とボールペンを取った。
 「ほらっ! ツヨシ、うちの中に入れ」 
 父は抵抗する剛を、ひきずるようにして家の中に入れた。彼がふりむくと、ぎらぎら光る太陽を背に、さびしそうな笑顔で手をふる令子の姿があった。彼が最後に見る令子の姿だった。
 次の日、剛は父と母と自宅に戻った。あの騒ぎのあと、おばは父とすごい剣幕で言い合いをし、夕方戻ったおじも父と対立した。剛のおじは冷静だったが、それだけに、おじと父との間に成り立った結論は意味の深いものがあった。簡単に言うと、おじは剛の父に2度と金を貸さない、また、現在貸した金を返すまでは、おじの家に招かない、というものだった。こういうことを冷静に言いだす段階になる時は、永久的に関係が途絶える時だ。そして、剛がこのあとおじの家にいくことは2度となかった。
 剛の父はその夜遅く木暮家のキッチンで深酒しながら、令子の書いたメモを焼いてしまった。
 剛は家に戻るとすぐに母に聞いた。
 「レイちゃんちの住所どこにあるの?」
 母は、ちょっと困った顔で、書類ケースを長い間探し続けた。
 「あれ、どこやったかな? お母さん、いつもごちゃごちゃにしておくのがよくないんだよなあ。今、見つけるから待っててね」そんな言い訳をしながら芳江は延々と探し続けた。
 そんな母の背中や腕を見ながら、剛は取り返しのつかない気持ちでいっぱいになり、涙があふれそうになった。彼の頭の中には、きれいにみがいたビートルと、ロボと、ホットパンツをはいた令子と、令子の体の温かさと、美智子の体の柔らかさと、美智子の厚みのある歌声と、美智子のロコモーションを歌うときの美しい横顔と、そのほかたくさんの情景が、いっぱいあふれてきた。こんな素敵な夏はもう2度とこないと剛は思った。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 ロコモーション
◆ 執筆年 2003年7月27日