思われ-チェリー・ブラッサム・ピンク-

1
八歳の少年をつかまえて、決して女の子に口付けしないと誓わせてはならない。
申し遅れたが、私の名は湯本芳彦である。三人家族の父親だ。
妻の遼子は、私が大学で教えた。彼女は『源氏物語』の「夕顔」を研究したくて、私の研究室に入った。
ある時彼女は私に言った。
「先生は私が高校で教わった先生に似ているわ。私はその先生が好きで、『源氏物語』に興味を持ったんです。」
その話はそれだけのことで別段何かあったというわけではなかった。しかし、私は何となくそのことが念頭を去らなかった。
その後、彼女の研究に助言をするうちに、彼女と過ごす時間が増えていった。なぜなら、彼女は非常に熱心に研究をし、私の指導を求めたからだ。彼女は朝は誰よりも早く来て、晩は研究室を隅々まで掃除してから、一番最後に帰宅した。私のコーヒーや茶は全て彼女が淹れた。食事も彼女に任せるようになった。講義やら学会やらに出かける時も、彼女が準備をしてくれるようになった。気が付いたら私は彼女に頼って生きるようになっていた。ある時、何か用事があって彼女が学会に付いて来なかったら、私はちょっとした書類を出すのにも往生してしまい、唖然とした。私は帰るとまず彼女に言った。
「私には君がいることが自己を認識する必要条件になっている。」
これは思いもかけず求婚の言葉として機能していた。
彼女はその時顔を赤くして恥ずかしそうにうつむいた。それはどこか大学構内の静かな場所であった。彼女の様子を観察しているうちに、私は自分がどんなことを言ったのかわかってきた。そして、何よりも私自身が驚いた。しかしそうなると話は簡単だった。私はまったく何もためらわずに、今度は自分の言うことの意味を自覚した上で、同じ言葉を繰り返した。その上で私は、結婚してほしいという意味を持つ言葉を思い切って彼女に投げかけた。その結果は簡潔明瞭だった。この世の何もかもが自分の思い通りになるのではないかと錯覚させられるぐらいに、簡潔明瞭なものだった。私たちは、彼女が卒業すると同時に結婚した。しかし、私の生活は特に変わらなかった。彼女と共に過ごす夜ができたということを除けば。結婚式を済ませ、新婚旅行から戻ると、彼女は私のマンションに移ってきた。子供ができると手狭になったので、今の家を新築した。その時にこの書斎のキッチンを造ったのだ。私と妻が書斎で研究している時、いつでもコーヒーを淹れられるように。
当初は彼女は絶えず私のためにコーヒーを淹れてくれた。しかし、子供ができると彼女は忙しすぎて、とてもじゃないけど私のコーヒーの準備などしていられなくなった。そこで私は自分でコーヒーを淹れるようになった。やってみると何でも面白いもので、私はコーヒーを淹れることに凝り始めた。仕舞いにはサイフォンで淹れるようになった。
フラスコの湯がロートを昇ってきた。私はスプーンでかき混ぜ、アルコールランプの火を止めた。今度はコーヒーとしてフラスコへ戻っていく。カップに注いで、窓辺に佇んだ。1960年代の歌と演奏が、なんのわだかまりもなく、私の頭の中を通り抜けていく。
ブラウニング
遼子と璃鴎
冬の日ざしが書斎に入り込んでいる。休日の午後中ずっとエアコンの音がしている。そして、まだその午後が続いている。この家を建てる時に、書斎には簡単なキッチンを作った。コーヒーを淹れるためだ。調べものに疲れた私は、今日もこの場所でコーヒーを淹れている。コーヒーの音とエアコンの音に、1960年代のアメリカンポップスが混ざっている。私はアメリカンポップスが大好きだ。自分が生まれた頃の匂いがするせいだろう。それと、無類の明るさに圧倒されることを体が求めるのだ。申し遅れたが、私の名は湯本芳彦である。三人家族の父親だ。
妻の遼子は、私が大学で教えた。彼女は『源氏物語』の「夕顔」を研究したくて、私の研究室に入った。
ある時彼女は私に言った。
「先生は私が高校で教わった先生に似ているわ。私はその先生が好きで、『源氏物語』に興味を持ったんです。」
その話はそれだけのことで別段何かあったというわけではなかった。しかし、私は何となくそのことが念頭を去らなかった。
その後、彼女の研究に助言をするうちに、彼女と過ごす時間が増えていった。なぜなら、彼女は非常に熱心に研究をし、私の指導を求めたからだ。彼女は朝は誰よりも早く来て、晩は研究室を隅々まで掃除してから、一番最後に帰宅した。私のコーヒーや茶は全て彼女が淹れた。食事も彼女に任せるようになった。講義やら学会やらに出かける時も、彼女が準備をしてくれるようになった。気が付いたら私は彼女に頼って生きるようになっていた。ある時、何か用事があって彼女が学会に付いて来なかったら、私はちょっとした書類を出すのにも往生してしまい、唖然とした。私は帰るとまず彼女に言った。
「私には君がいることが自己を認識する必要条件になっている。」
これは思いもかけず求婚の言葉として機能していた。
彼女はその時顔を赤くして恥ずかしそうにうつむいた。それはどこか大学構内の静かな場所であった。彼女の様子を観察しているうちに、私は自分がどんなことを言ったのかわかってきた。そして、何よりも私自身が驚いた。しかしそうなると話は簡単だった。私はまったく何もためらわずに、今度は自分の言うことの意味を自覚した上で、同じ言葉を繰り返した。その上で私は、結婚してほしいという意味を持つ言葉を思い切って彼女に投げかけた。その結果は簡潔明瞭だった。この世の何もかもが自分の思い通りになるのではないかと錯覚させられるぐらいに、簡潔明瞭なものだった。私たちは、彼女が卒業すると同時に結婚した。しかし、私の生活は特に変わらなかった。彼女と共に過ごす夜ができたということを除けば。結婚式を済ませ、新婚旅行から戻ると、彼女は私のマンションに移ってきた。子供ができると手狭になったので、今の家を新築した。その時にこの書斎のキッチンを造ったのだ。私と妻が書斎で研究している時、いつでもコーヒーを淹れられるように。
当初は彼女は絶えず私のためにコーヒーを淹れてくれた。しかし、子供ができると彼女は忙しすぎて、とてもじゃないけど私のコーヒーの準備などしていられなくなった。そこで私は自分でコーヒーを淹れるようになった。やってみると何でも面白いもので、私はコーヒーを淹れることに凝り始めた。仕舞いにはサイフォンで淹れるようになった。
フラスコの湯がロートを昇ってきた。私はスプーンでかき混ぜ、アルコールランプの火を止めた。今度はコーヒーとしてフラスコへ戻っていく。カップに注いで、窓辺に佇んだ。1960年代の歌と演奏が、なんのわだかまりもなく、私の頭の中を通り抜けていく。