憑依
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奥様からは、江戸の中ごろのことと聞いておりますが、二条家のあいだで争いが起こったのだそうです。
二条為久(ためひさ)と二条為高(ためたか)の兄弟が継承に際して、繰り広げた動乱なのだそうでございます。
為久と為高は、もとは仲がよく、また、才能に恵まれていました。どちらも同じ時期に、左大臣、右大臣の位に就きました。兄の為久が先に娘を天皇に入内(じゅだい)させました。水明(すいめい)天皇は為久の娘、清子(きよこ)をことのほかかわいがり、まもなく生れた惟清(これきよ)親王を皇太子にする約束までしました。気落ちした為高を気にして、人のいい為久は、二条家の家宝を為高に渡してしまいました。為高が娘を入内させるにあたって、石帯(せきたい)を天皇に納めたいと言ったからです。
皆様はご存じかもしれませんが、この石帯は世継ぎの男子が嫁を取るときにはそのまま持っていればいいのですが、男子がいない娘ばかりの家系の場合は、娘が嫁入りする際、嫁ぎ先に持たせてやるのです。偶然にも為久、為高兄妹は娘ばかりの家系だったのですね。ただ、輿入れした娘に渡したままにしてしまうと、二条家の家宝がなくなってしまいますので、嫁いで一年後に本家に戻すことになっておりました。こうすれば、家宝が二条家から失われるということはなくなるわけです。なぜこのようなややこしいしきたりが生まれたのかは一向存じません。こういったことの由来というのは、必ずなにか込みいった事情があるものでございますからねえ。
さて、このころは、清子入内後数年たっていましたから、既に天皇家から二条家に石帯が返還されておりました。それを、使わせてもらえないかという依頼なのです。もちろん、はじめのうちは為久も渋っていたのですが、家宝の石帯に関するしきたりは、あくまでも形式に過ぎず、皇太子を擁し、関白に就任することが確定的な兄が、二条家の氏(うじ)の長者である事実は揺らぐものではない、という為高の言葉を信じてしまったのです。為高は、娘の芳子(よしこ)入内後一年たったら、天皇家から為久のもとに家宝を返還すると約束しました。
これが間違いのもとだったのですよ。もっとも為高にしろ、このときには、大それた考えは持っていなかったのかもしれません。為高が変わっていくのは、娘の芳子が水明天皇に思いのほかかわいがられるようになってからです。この兄弟の娘、清子と芳子は、どちらも類いまれな美人でした。あえて言うならば、容姿の点では清子がほんの少しだけまさっていて、女らしさの点では芳子が上回っている、という違いがあるぐらいでした。といっても、誰が見ても甲乙つけがたい従姉妹(いとこ)同士なのです。それが、水明天皇は、どういうわけか、芳子が入内すると、片時も離れがたいという具合に寵愛し、耽溺してしまいました。連理の枝、比翼の鳥になろうと誓いあうほどで、清子のことなど忘れてしまったかのようでした。入内後一年たっても、石帯は為久のところへ返還されません。兄は弟にたずねてみましたが、為高は自分のところへももちろん返還されていないと嘘を言いました。まもなく、明徳(あきのり)親王が生れると、惟清親王を皇太子にするという約束を簡単に破り、明徳親王を皇太子に立てました。怒ったのは為久です。為久は、氏の長者としての人望も厚く、地方にも忠誠を誓う多くの勢力を持っていました。はじめはもちろん、そういう力を使うつもりもなく、弟の為高を説得しようとしました。
二条為久(ためひさ)と二条為高(ためたか)の兄弟が継承に際して、繰り広げた動乱なのだそうでございます。
為久と為高は、もとは仲がよく、また、才能に恵まれていました。どちらも同じ時期に、左大臣、右大臣の位に就きました。兄の為久が先に娘を天皇に入内(じゅだい)させました。水明(すいめい)天皇は為久の娘、清子(きよこ)をことのほかかわいがり、まもなく生れた惟清(これきよ)親王を皇太子にする約束までしました。気落ちした為高を気にして、人のいい為久は、二条家の家宝を為高に渡してしまいました。為高が娘を入内させるにあたって、石帯(せきたい)を天皇に納めたいと言ったからです。
皆様はご存じかもしれませんが、この石帯は世継ぎの男子が嫁を取るときにはそのまま持っていればいいのですが、男子がいない娘ばかりの家系の場合は、娘が嫁入りする際、嫁ぎ先に持たせてやるのです。偶然にも為久、為高兄妹は娘ばかりの家系だったのですね。ただ、輿入れした娘に渡したままにしてしまうと、二条家の家宝がなくなってしまいますので、嫁いで一年後に本家に戻すことになっておりました。こうすれば、家宝が二条家から失われるということはなくなるわけです。なぜこのようなややこしいしきたりが生まれたのかは一向存じません。こういったことの由来というのは、必ずなにか込みいった事情があるものでございますからねえ。
さて、このころは、清子入内後数年たっていましたから、既に天皇家から二条家に石帯が返還されておりました。それを、使わせてもらえないかという依頼なのです。もちろん、はじめのうちは為久も渋っていたのですが、家宝の石帯に関するしきたりは、あくまでも形式に過ぎず、皇太子を擁し、関白に就任することが確定的な兄が、二条家の氏(うじ)の長者である事実は揺らぐものではない、という為高の言葉を信じてしまったのです。為高は、娘の芳子(よしこ)入内後一年たったら、天皇家から為久のもとに家宝を返還すると約束しました。
これが間違いのもとだったのですよ。もっとも為高にしろ、このときには、大それた考えは持っていなかったのかもしれません。為高が変わっていくのは、娘の芳子が水明天皇に思いのほかかわいがられるようになってからです。この兄弟の娘、清子と芳子は、どちらも類いまれな美人でした。あえて言うならば、容姿の点では清子がほんの少しだけまさっていて、女らしさの点では芳子が上回っている、という違いがあるぐらいでした。といっても、誰が見ても甲乙つけがたい従姉妹(いとこ)同士なのです。それが、水明天皇は、どういうわけか、芳子が入内すると、片時も離れがたいという具合に寵愛し、耽溺してしまいました。連理の枝、比翼の鳥になろうと誓いあうほどで、清子のことなど忘れてしまったかのようでした。入内後一年たっても、石帯は為久のところへ返還されません。兄は弟にたずねてみましたが、為高は自分のところへももちろん返還されていないと嘘を言いました。まもなく、明徳(あきのり)親王が生れると、惟清親王を皇太子にするという約束を簡単に破り、明徳親王を皇太子に立てました。怒ったのは為久です。為久は、氏の長者としての人望も厚く、地方にも忠誠を誓う多くの勢力を持っていました。はじめはもちろん、そういう力を使うつもりもなく、弟の為高を説得しようとしました。