烏賊がな
-中里探偵事務所-
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場面50
機が熟したとなると、パッとくるのよ。そしてそうなれば、邪魔になるものは、何もかも木っ端微塵(こっぱみじん)なのよ。だから、それまでは、まあ、すべて準備なのねえ、目に見えないし、なんにも聞えないけどね。ディケンズ
『二都物語』
「相変わらず、妙な話だな。どうしてこういう話を思い付くんだ」
「いや、思い付くわけじゃないさ。夢だよ」
「夢って、寝ているときに見る夢か」
「そうだよ。実際に見た夢がもとになっているけど、自分で作った部分もかなりあるよ」
「悪夢だね」
「悪夢さ。学校の教師をしていると、こういう窮地に立たされる悪夢をよく見るんだよ」
「そうか。学校の先生は大変なんだな」
「こう見えてもね」
明貞は、ビールをグビッと飲んだ。彼は、譲の家に来ると必ずビールを飲む。JR足利駅まで亜沙子に送ってもらうと、あとは両毛線一本だった。前橋市の駒形駅に降りて、五分も歩けば彼の一戸建てに到着する。
「でも、この前の田螺の恩返しは夢じゃないんだろ」
「あれも夢だよ。夢に田螺の恩返しの話を足したんだ」
「なるほど」
譲もビールを飲んだ。明貞がビール瓶を持ち上げた。
譲はコップを空にして明貞の方へ出した。明貞は慎重にスーパードライを注いだ。
チャイムが鳴った。亜沙子が電話機のボタンを押して、簡単なやりとりをしたあと、玄関に駆け出した。玄関でまたやりとりする。やがて風呂敷を抱えて戻ってきた。とたんに香ばしい匂いが漂う。
「いい匂いだなあ。奥さんこれは鰻ですね」
「そうなんです。店屋物で悪いんですけど」
「いや、いや、とんでもない。すみませんねえ」
テーブルの上にお重や吸い物が並べられる。亜沙子が明貞にすすめる。明貞はお重のふたを取る。譲もふたを取る。
「いやあ、これはうまそうだ。じゃあ、遠慮なくご馳走になりますよ」
明貞は箸を割って、重箱と口の間を一往復する。
「いやあ、これは、実にうまい鰻だ」
譲がビール瓶を持ち上げた。
「おっ、どうもどうも」
明貞はコップを空にした。
「プハー、ビールがうまい。最高だ」
コップを譲の方へ出す。譲が上手に注いだ。
「本当に片岡さんは、何でもおいしそうに召し上がるから、ご馳走する張り合いがあるわ」
「いや、奥さん本当にありがとうございます。ハハハハハ」
いかにも愉快そうに笑う。
「夢を書くことが多いのかい?」
明貞は譲の方を見る。
「夢は潜在意識の表れだからな」
「潜在意識の表れだと書くことが多くなるというのはなぜだい?」
「潜在意識にあることを夢が気づかせてくれるので、衝撃を受けるんだ。衝撃を受けると創作意欲をかき立てられるのさ」
「潜在意識では気づいているのに、はっきり意識できないことがあるってことか……」
「そうなんだよ」
譲はビールを飲んだ。