ツェねずみ
-中里探偵事務所-

探偵
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 このツェねずみのような困った人物が、クニッゲの「交際法」に出てくる。
 ところで、クニッゲの「交際法」というのは、いったいどういうものか、ここで説明しておきたい。これは、ごく大ざっぱに言えば、森鴎外が翻訳して「智恵袋」などの題名で発表した処世術集である。人からねたまれずに仕事で成功を収めるのはなかなか難しいことであろうし、人にへつらうことなく自分の意志を貫くのもなかなか難しいことであろう。本書は、そういった交際上の困難に対して、実際的で適切な助言を与えてくれる。以下に、ざっとその具体的内容を列挙してみる。
 どうすれば人から信頼を得られるか。どんなふうに人と会話をすればよいか。どんな服装をすればよいか。家庭生活を円満に送るためにはどうすればよいか。自分の感情を制御するためにはどうすればよいか。年齢差のある相手との交際はどうあるべきか。親子関係はどうあるべきか。親戚との交際はどうあるべきか。夫婦の関係はどうあるべきか。恋愛・結婚はどうあるべきか。女性への接し方はどうあるべきか。友人関係はどうあるべきか。使用人にはどう接するべきか。隣人との交際はどうあるべきか。師弟関係はどうあるべきか。敵を倒すにはどうすればよいか。危難に陥ったときはどうすればよいか。
 これらはほんの一例であるが、そのどれもが、知っておくに越したことはないことばかりである。しかも、こんなことは誰も教えてくれない。
 さて、この「交際法」には、内容の性格上、当然、してはいけない例や不届きな人物の例がたくさん出てくる。そういった不届きな人物の例の一つに、例のツェねずみタイプがある。「底なき嚢(ふくろ)」という題名に出てくるのがそれだ。その全文を引用してみよう。ちなみにこれは、森鴎外が訳したものをさらに小堀桂一郎が訳したものである。

底なし袋に譬えて然るべきような人がいる。人中に交れば、他人が自分に親切な言葉をかけてくれ、話をしてもてなしてくれるものと決めてかかっている。人が自分の世話を焼き、御馳走をし、大事にしてくれ、ほめそやし、金を払うときは自分の勘定まで持ってくれるのが当然の如くに思っている。つまり人から貰うことだけを知って、自ら与えるということを知らぬ人種なのだ。共同で何か事を催す時にも自分だけが興を尽くし、満足がゆけばそれでよく、周囲の人々にも自分と同じ欲求があるはずだということには思い至らないのだ。さても不公平な、厄介な人種である。(『森鴎外の『智恵袋』』「二十五 底なき嚢(ふくろ)(底なし袋の如き人に注意)」)

 宮沢賢治のツェねずみは、まさにクニッゲの底なし袋だと思うが、いかがだろうか。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 ツェねずみ-中里探偵事務所-
◆ 執筆年 2019年3月