世界の街角から
(インド編)

インド旅行
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ニューデリーに向けて

 平成5年の夏にインドへ旅をした。記録的な冷夏の年で、1993年の米騒動と呼ばれる深刻な米不足の年だった。(この不況は日本人の米離れを加速したという記憶がある。)ちなみにアメリカではクリントン大統領が就任した年でもある。出発の7月22日まで曇天の日々で、夏はいつ来るのかと人と顔を合わせると挨拶を交わした。インドでの一週間は雲一つない炎夏だった。そして、日本に帰ると飛行機の窓から厚い雲に閉ざされているのが見えた。この夏に夏らしい気候を味わった日本人は海外に出た人々だけだったかもしれない。
 私にとっては初めての海外旅行で、初めての飛行機だったので、エア・インディアという航空会社には正直言って不安を覚えた。ターミナルから眺めた機体は白地に赤のペイントが施されており、すべての窓の上にイスラム建築のドームのデザインが赤くペイントされていた。一瞥して通常の航空機とは趣を異にしていることが感じられた。
 機内に入ると、サリーを着て額に赤くて丸いビンディ(現在は様々なデザインや素材の物があるらしい)をつけた、インド人女性の客室乗務員が出迎えてくれ、恰幅のいいインド人の機長も出てきて恭しく挨拶をしてくれた。機内食はすべてカレーであった。インドに到着する前にすっかりインドにいる気分を満喫することが出来たのだが、最後の機内食にはさすがに飽きが来た。
 7月22日午前5時(ここからは現地の時間)、ニューデリーのインディラガンジー空港に着いた。着陸はいかにも唐突に思えた。高度が低くなり、眼下に密集する石の建物すれすれに滑空し、交通量の多い道路を横切ると間もなく、滑走路に機体がのしかかった。機体が少々揺れるのを感じた。空港に入ると同時に、熱帯植物を栽培する温室のような、むっとくる匂いと生温かさを感じた。インドに来た。見かける人、皆、インド人だ。入国審査は思ったより簡単であった。インド人の係員が怒ったような顔でスタンプをカシャンカシャンと押してくれた。インド人に限らず外国人の普段の顔つきは、怒っているように見える。海外から来る外国人も日本人に対してこのように思うのだろうか。入国カードの残り半分を出口で渡し、ホリデイツアーの現地係員を探した。インド人がたくさん出迎えに来ていて見当がつかなかった。旗も何も持っていないのだ。「MR.○○?」と、日本語名を呼んでいるインド人に尋ねられた。「自分は○○ではなく△△だ」と言うと、近くにいるインド人に自分たちのことを知らせてくれた。現地係員のチョーハンさんであった。頬に傷のある、どすのきいた感じだが、日本語は流暢だった。その人が空港の外に案内してくれ、しばらくすると、クリーム色の車がやってきた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 世界の街角から(インド編)
◆ 執筆年 2013年1月24日
◆ 群馬県立太田高等学校『図書館だより』の「閑話 世界の街角」に 2011年4月から2013年1月まで連載した紀行文