世界の街角から
(イギリス編)

イギリス旅行
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ロンドン その5 大英博物館(後篇)

 大英博物館には、エジプトの重要な文化財に負けず劣らず、ギリシャ・ローマの文化財もたくさん展示されている。その代表はなんといっても、パルテノン神殿の群像彫刻であろう。仮に今後ギリシャに行く機会があるとしても、アテネのパルテノン神殿でこの神殿彫刻を見ることはまずできない(もしかしたら一部残っているのかもしれないが)。オスマン帝国の支配下にあった頃のギリシャに駐在していたイギリス外交官エルギン・マーブルが、オスマン帝国の許可をもらい、イギリスに持ち帰ってしまったからだ。これが現在、大英博物館2階ギリシャのコーナーにずらりと並んでいる。圧巻の一言である。
 全盛期のイギリスは世界史上最大の領土を保有していた。13植民地、カナダ、エジプト、インド、イラク、オマーン、オーストラリア、ニュージーランドなどなどは全部イギリスのものだった。だから、そういった国々からたくさん文化財が運ばれてきた。海外旅行に行って、ある国の博物館で見学すると展示品がなくて、そのそばに「イギリスの大英博物館に所蔵されています」と書かれている、という嘘のような話が実際にあるようだ。幕末の危ういときにも、日本はイギリス領土に組み込まれる事態にならなかったが、そうなっていた歴史があったとしても決して不思議なことではない。奈良の大仏や広隆寺の弥勒菩薩なども持ち出されていたかもしれない。東大寺に行くとレプリカだけがあり、「本物の大仏は大英博物館で見学してください」と張り紙がしてあったかもしれない。大英博物館は、「太陽の沈まない国」と呼ばれた頃のイギリスを思わせる施設でもある。
 歴史は変わる。私が小さい頃は、ヨーロッパ、中でもイギリスやフランスは、文化も技術も最先端、憧れの国の筆頭であった。今はどちらかというと、成熟して落ち着いた印象である。そして、その頃には考えられなかったことだが、今や日本が、どうやら世界中の人から憧れの対象になっているらしい。しかし日本にも衰退の兆しはある。憧れの国の座を保ちたければ、やはり地道な努力が必要なのだろう。

 第7日目 2005年8月14日(日)
 いろいろ考えさせられたイギリスの旅も終わり、国際線利用者数世界一のロンドン・ヒースロー空港に向かう。ところがこの日、空のダイヤが大幅に乱れ、予定していた旅客機には乗れなかった(7月7日に起きたロンドン同時爆破事件の余波だったかも)。とりあえずオランダのスキポール空港まで移動できたが、そこでもう一泊することになってしまった。帰国予定日の翌日を仕事のない日にしておいたのがせめてもの救いであった。しかし、JTBが用意してくれたスキポール空港付近のホテルはすばらしく快適(実は、このホテルが旅行中もっとも豪華)だった。とんだアクシデントがくれた、思わぬプレゼントであった。
 そう言えば大英博物館の面白グッズを紹介するのを忘れていた。しかし、スペースは残されていない。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 世界の街角から(イギリス編)
◆ 執筆年 2014年4月26日
◆ 群馬県立太田高等学校『図書館だより』の「閑話 世界の街角」に 2012年2月から2014年3月まで連載した紀行文