芥川

芥川
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 夜具が柔らかく匂いがよかった。このような心地よさを味わうのももうそれほどないだろうと良房は思った。
「叔父様」
「何だ」
「私、叔父様の子がほしい」
 良房は顔を高子に向けた。業平の顔が浮かんできた。良房はその顔を振り払った。
「京へ戻ったら、私は政務を執る。良相にはもう降りてもらう。大納言はそのころにはいなくなるだろう。そしてお前を清和に入内させる」
「わかってるわ」
「お前は清和の子をもうけるのだ」
「ええ」
「私はもう十分生きた」
「叔父様」
「?」
「清和は叔父様の子なんでしょ?」
「……」
「お兄様から聞いたわ」
「私は妻をお前たちの父に取られた。明子は私の妻とお前の父の子だ。私は子どもを作れなかった。子どもが作れないのならば、かまわないと思ったのだ」
「それで明子様と」
「そうだ」
「それなのに明子様は叔父様の子を生んだ」
「そうだ」
「それを知ったお兄様は叔父様を苦しめたのね」
「私はそのころ他氏が政権運営するのもよいのではないかと思っていた。それに惟喬親王は聡明だった。天皇にふさわしいと思った。基経が私の意図を知りたいと迫ったとき、私はそう言った。奴は私よりしたたかだ。反対しなかった。そうですね。惟仁親王(清和天皇)は文徳の子ではないから、その資格はありませんね。そんなことを言った。私は驚いた。奴は惟仁親王が良房の子であることを紀氏に証言し、その手柄で要職に取り立ててもらうと言った。これは困ったことになったと思った。自分は何を言われても構わないが、明子や惟仁親王の将来があまりにも悲惨だと思った。同時にそのころ摂津から急使が到着した。紀氏と惟喬親王が荘園整理の計画を立てているが、これが実行されれば、全国の武士たちが不満を抱き、どこかの武士を中心に行動を起こすのではないかという心配を告げたのだった。どこかの武士と言っているが、明らかに摂津が主体になるつもりなのだ。私はこの事件で二つのことを学んだ。藤原北家は飾りであるということ。もう一つは飾りは藤原北家以外には務まらないこと。私はこのとき決意した。自分の気持ちを殺そう。飾りとして生きよう。そして日本を一つにまとめよう。私は摂津の急使に惟仁親王と告げた。急使は喜んだ。次ぐ日基経が謝罪に来た。根も葉もないことを言って父を侮辱してすみません。そう言った。私の基経への警戒は晴れなかった。探らせても何もでてこなかった。お前と話すうちに東国とのつながりを思い付いた。お前のお陰で奴の東国も手に入れることができた」
「でもまた取られるわ」
「大丈夫だ」
「どうして?」
「武士をまとめる別の方法を思い付いたからだ。お前と清和の子から源氏を出す」
「臣籍降下ね」
「それを摂津守にする。全国の武士たちは担ぐ神輿が必要だ」
「摂津守が神輿になれば東国も従わざるを得ない」
「そうだ」
「でもお兄様も同じことを考えたら」
「いや、奴は藤原北家による政権運営で頭がいっぱいになり、地方のことまで頭が回らないはずだ。私がそうだったようにな」
「それならなおのこと、叔父様の子がほしい。その子が天皇になれば明主になるでしょうし、天皇にならなければ全国の武士を率いる棟梁になるでしょう」
「私はお前がいて幸せだ。今の気持ちを歌にしてみたぞ」
「聞かせて」
「あとでな」
 良房は不思議だった。兄の二人の娘が自分を幸せにしてくれたことが。

年ふればよはひは老ひぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 芥川
◆ 執筆年 2021年10月10日