芥川

120
外は暑かったが、岩室の中は涼しかった。朝からずっと書籍を読んでいたので、寒くなるほどだった。
藤原定家は熱い飲み物をまた飲んだ。
昨年の新嘗祭で腹を立て、暴行事件を起こし、自宅で謹慎をしていると、鎌倉幕府政所初代別当の源光行が、『源氏物語』について教えてもらえないかという手紙を送ってきた。彼は清和源氏で源満仲の子孫ということだ。私は藤原道長の子孫であるから、彼とは関係が深い。年も近く、和歌が好きで、気が合った。彼は政治の手腕もあり、幕府に買われている。私も負けられないと思っているが、こんな事件を起こしてしまい、出世からだいぶ縁遠くなってしまったようだ。
鎌倉で彼と会うと、『源氏物語』を教えてほしいということは事実だったが、それ以上に重要なことがあった。藤原良房にまで遡る藤原北家と清和源氏の秘密文書を処分してほしいというのだ。当時は武士勢力が強大になりつつあり、日本が分断しないように、貴族と武士がしっかりした取り決めをしたうえで、両者の役割を果たして政治を行うべきではないかと、良房はこの国の未来を見通しており、以来、その秘密の申し合わせを行った関係者の文書がたくさん保管されてきたのだという。紀貫之や在原業平の血も藤原北家と清和源氏には流れているらしい。紫式部も深く関わっているらしい。しかし、鎌倉幕府が発足した今、官界は藤原北家が管轄し、武門は清和源氏が管轄するようになり、これらの膨大な文書も歴史的使命を終えてしまった。だから、処分することになったのだが、文学史上、廃棄するわけにはいかないものも多数ある。それを私に鑑定してほしいというのだ。私は断った。すると、いつまでも除籍処分されたままでも構わないのかと言われた。それは困ると言った。この仕事を成し遂げ、このことを墓場の中まで持っていくことが、除籍処分解除の条件だと言われた。私は、渋々承諾した。糺の森と石清水八幡宮、浮御堂、紫式部の実家跡、上野国の五箇所にそれらの文書は点在していた。鎌倉からまず上野国に向かった。上野国は大国である。豊かで賑わっていた。次に浮御堂に行った。そして、石清水八幡宮、糺の森。最後に来たのが、この紫式部の実家跡だ。紫式部は浮御堂などから文書を取り寄せてもらい、それをすべて筆写し、井戸の脇にある岩室の中に保管していた。奥の隠し書庫には膨大な書籍が並んでいる。この中には、浮御堂などにはない資料もたくさんある。私は、その中から、処分せざるを得ないものを除いて、すべて筆写しようと思った。『古今和歌集』や『伊勢物語』、『大和物語』、『源氏物語』などの文学作品は、現在散逸している箇所が非常に多いのだが、ここにはその不足を補ってくれるものがたくさんある。
しかし、謎も多い。次のものなどは、『源氏物語』の成立に関わっていそうだが、出所がわからない。
「この物語は何かしら?」
「ああそれは昔おばあさんが書いたものですよ」
「宇治川に身を投げたらお坊さんに拾われて出家するなんて、おばあさんは変わったことを考える人ね」
また、貫之のことが非常に興味深い。伊勢や滋幹の母と結婚したとは思いもよらなかった。しかし、これは資料が乏しいから、信じてもらえるかどうか。滋幹の母が道真の祟りと見せかけて、時平やその一族を毒殺したことも、驚きの事実であった。しかし、これも世間は信じないであろう。滋幹の母との間には美しい娘ができたようである。『土佐日記』には娘が死んだと書いていたが、そうではなくて、清和源氏と関わりの深い人物に嫁がせていたのである。『伊勢物語』も貫之が書いていたとは……。『伊勢物語』について、貫之は覚え書きに、次のように書いている。おそらく自らの経験に照らし合わせた実感なのであろう。
いや、これは、昔の男たちと女たちが皆経てきた道である。今の男たちと女たちもそうであろう。そして、おそらく、これからの男たちと女たちも。
藤原定家は熱い飲み物をまた飲んだ。
昨年の新嘗祭で腹を立て、暴行事件を起こし、自宅で謹慎をしていると、鎌倉幕府政所初代別当の源光行が、『源氏物語』について教えてもらえないかという手紙を送ってきた。彼は清和源氏で源満仲の子孫ということだ。私は藤原道長の子孫であるから、彼とは関係が深い。年も近く、和歌が好きで、気が合った。彼は政治の手腕もあり、幕府に買われている。私も負けられないと思っているが、こんな事件を起こしてしまい、出世からだいぶ縁遠くなってしまったようだ。
鎌倉で彼と会うと、『源氏物語』を教えてほしいということは事実だったが、それ以上に重要なことがあった。藤原良房にまで遡る藤原北家と清和源氏の秘密文書を処分してほしいというのだ。当時は武士勢力が強大になりつつあり、日本が分断しないように、貴族と武士がしっかりした取り決めをしたうえで、両者の役割を果たして政治を行うべきではないかと、良房はこの国の未来を見通しており、以来、その秘密の申し合わせを行った関係者の文書がたくさん保管されてきたのだという。紀貫之や在原業平の血も藤原北家と清和源氏には流れているらしい。紫式部も深く関わっているらしい。しかし、鎌倉幕府が発足した今、官界は藤原北家が管轄し、武門は清和源氏が管轄するようになり、これらの膨大な文書も歴史的使命を終えてしまった。だから、処分することになったのだが、文学史上、廃棄するわけにはいかないものも多数ある。それを私に鑑定してほしいというのだ。私は断った。すると、いつまでも除籍処分されたままでも構わないのかと言われた。それは困ると言った。この仕事を成し遂げ、このことを墓場の中まで持っていくことが、除籍処分解除の条件だと言われた。私は、渋々承諾した。糺の森と石清水八幡宮、浮御堂、紫式部の実家跡、上野国の五箇所にそれらの文書は点在していた。鎌倉からまず上野国に向かった。上野国は大国である。豊かで賑わっていた。次に浮御堂に行った。そして、石清水八幡宮、糺の森。最後に来たのが、この紫式部の実家跡だ。紫式部は浮御堂などから文書を取り寄せてもらい、それをすべて筆写し、井戸の脇にある岩室の中に保管していた。奥の隠し書庫には膨大な書籍が並んでいる。この中には、浮御堂などにはない資料もたくさんある。私は、その中から、処分せざるを得ないものを除いて、すべて筆写しようと思った。『古今和歌集』や『伊勢物語』、『大和物語』、『源氏物語』などの文学作品は、現在散逸している箇所が非常に多いのだが、ここにはその不足を補ってくれるものがたくさんある。
しかし、謎も多い。次のものなどは、『源氏物語』の成立に関わっていそうだが、出所がわからない。
「この物語は何かしら?」
「ああそれは昔おばあさんが書いたものですよ」
「宇治川に身を投げたらお坊さんに拾われて出家するなんて、おばあさんは変わったことを考える人ね」
また、貫之のことが非常に興味深い。伊勢や滋幹の母と結婚したとは思いもよらなかった。しかし、これは資料が乏しいから、信じてもらえるかどうか。滋幹の母が道真の祟りと見せかけて、時平やその一族を毒殺したことも、驚きの事実であった。しかし、これも世間は信じないであろう。滋幹の母との間には美しい娘ができたようである。『土佐日記』には娘が死んだと書いていたが、そうではなくて、清和源氏と関わりの深い人物に嫁がせていたのである。『伊勢物語』も貫之が書いていたとは……。『伊勢物語』について、貫之は覚え書きに、次のように書いている。おそらく自らの経験に照らし合わせた実感なのであろう。
いや、これは、昔の男たちと女たちが皆経てきた道である。今の男たちと女たちもそうであろう。そして、おそらく、これからの男たちと女たちも。
完