芥川

119
金勝山から満月が上った。湖面に影が映る。
式部は遠い海辺から都に思いを寄せる貴公子を思い浮かべた。すぐに岬の浮御堂で満月を眺めていた頼範の横顔に変わる。いつ会えるだろうか。会いたい。もう会えないのではないだろうか。式部は頼範に会えない自分が悲しかった。式部には会えなくなった人があまりにも多かった。その原因は、自分にあると思った。頼範と時折逢っていたことを、やはり道長は知っていた。道長は頼範の父である満仲に働きかけた。満仲は道長の言うことを聞かないわけにはいかなかった。頼範は信濃に下った。
つつじと藤が咲き誇っていた季節の一番幸せなころに、戻りたいと思った。あのときが一番幸福であった。宣孝は、式部が頼範とひそかに逢っていることを、おそらく気付いていたと思うが、一言も言わなかった。もしかすると、自分が女好きで、多くの妻妾や愛人を持っていることを、後ろめたく感じていたのかもしれない。いつも優しく接し、冗談ばかり言ってはおどけていた。
その宣孝も、もういない。東三条院様に毒薬を飲まされて、死んだのだ。東三条院様は、私を殺そうとしたのだ。しかし、偶然、宣孝が私の薬を飲んでしまった。これはどういうことだろうか? 私はあのときに死んでいてもおかしくなかった。神が私に飲ませなかったのだろうか? 神は私になぜ飲ませなかったのだろうか? そして、神は私の代わりに宣孝に薬を飲ませた。私は甘い女ではない。やられたら、必ずやり返す。私は、東三条院様にお礼を言った。薬を飲んだ直後は苦しい思いをしたが、それを過ぎたら嘘のように元気になったと言った。東三条院様だって、それほどの効果を期待していたとは思えない。ただ宣孝に効果てきめんだっただけだ。宣孝はもう若くないし、酒をたくさん飲み、肥満気味だったから、よく効いたのだ。しかし、私は、宣孝が飲んだとは言わなかった。自分が飲み、そのお陰で病気が治ったと言った。私は、東三条院様のところへ、数年前、気付かれないように知り合いを送り込んだ。越前で知った女性だ。彼女は料理が非常に上手である。有力者の娘だったが、父がその地方での権力争いに敗れ、非業の死を遂げた。彼女は山崎へ遊女として身売りをしなければならなくなった。そこを私が助けた。料理が上手なので、京に住む知人の女性のところへ仕えさせた。彼女は私に生涯忠誠を誓った。その後、私は、事があると、そのたびに、彼女に働いてもらっている。東三条院様のお屋敷で料理をする人間が足りなくなり、求人があったときに、彼女に応じるよう命じた。東三条院様は、彼女をすぐに雇った。私とのつながりを警戒したかどうか、それは知らないが、彼女の経歴に関して、私が直接関与したことはないので、彼女を雇っていた私の知人すら、彼女が私と関わりがあるとは思いもしなかっただろう。人の寿命を縮めるには、好きなものをたくさん与えることである。酒好きには酒、菓子好きには菓子、女好きには女。東三条院様は甘いものに目がなかった。越前の女は菓子を作るのが抜群に上手である。彼女は、東三条院様に求められるまま、次々においしいものを作った。東三条院様は、この数年で体が倍も太ったように見えた。心臓も弱ってきていた。私は次の段階に進むことにした。疫病が流行り、宣孝や私、邸内の多くの者が病にかかり、それが落ち着いたころだ。ある種の植物から取った薬物を彼女に渡し、微量ずつ東三条院様の食事に混ぜるよう命じた。東三条院様の心臓はますます弱まっていった。都にまだ残っていた疫病が、ようやく東三条院様にもとりついた。彼女に薬物の量を増やすよう命じた。心臓はさらに弱った。流行病のため、肺炎も進行していった。私は彼女にとどめを刺すよう命じた。心臓発作で東三条院様は極楽浄土に召された。誰も疫病以外の原因を疑わなかったという。本人も疫病を恨んで息を引き取ったらしい。私でさえ、薬物など実は関係なかったのではないかという気持ちになるほどであった。
紫式部が石山寺で書いた手記だった。夫を亡くし、彰子に仕える前だ。
藤原定家は書籍の量に圧倒された。
式部は遠い海辺から都に思いを寄せる貴公子を思い浮かべた。すぐに岬の浮御堂で満月を眺めていた頼範の横顔に変わる。いつ会えるだろうか。会いたい。もう会えないのではないだろうか。式部は頼範に会えない自分が悲しかった。式部には会えなくなった人があまりにも多かった。その原因は、自分にあると思った。頼範と時折逢っていたことを、やはり道長は知っていた。道長は頼範の父である満仲に働きかけた。満仲は道長の言うことを聞かないわけにはいかなかった。頼範は信濃に下った。
つつじと藤が咲き誇っていた季節の一番幸せなころに、戻りたいと思った。あのときが一番幸福であった。宣孝は、式部が頼範とひそかに逢っていることを、おそらく気付いていたと思うが、一言も言わなかった。もしかすると、自分が女好きで、多くの妻妾や愛人を持っていることを、後ろめたく感じていたのかもしれない。いつも優しく接し、冗談ばかり言ってはおどけていた。
その宣孝も、もういない。東三条院様に毒薬を飲まされて、死んだのだ。東三条院様は、私を殺そうとしたのだ。しかし、偶然、宣孝が私の薬を飲んでしまった。これはどういうことだろうか? 私はあのときに死んでいてもおかしくなかった。神が私に飲ませなかったのだろうか? 神は私になぜ飲ませなかったのだろうか? そして、神は私の代わりに宣孝に薬を飲ませた。私は甘い女ではない。やられたら、必ずやり返す。私は、東三条院様にお礼を言った。薬を飲んだ直後は苦しい思いをしたが、それを過ぎたら嘘のように元気になったと言った。東三条院様だって、それほどの効果を期待していたとは思えない。ただ宣孝に効果てきめんだっただけだ。宣孝はもう若くないし、酒をたくさん飲み、肥満気味だったから、よく効いたのだ。しかし、私は、宣孝が飲んだとは言わなかった。自分が飲み、そのお陰で病気が治ったと言った。私は、東三条院様のところへ、数年前、気付かれないように知り合いを送り込んだ。越前で知った女性だ。彼女は料理が非常に上手である。有力者の娘だったが、父がその地方での権力争いに敗れ、非業の死を遂げた。彼女は山崎へ遊女として身売りをしなければならなくなった。そこを私が助けた。料理が上手なので、京に住む知人の女性のところへ仕えさせた。彼女は私に生涯忠誠を誓った。その後、私は、事があると、そのたびに、彼女に働いてもらっている。東三条院様のお屋敷で料理をする人間が足りなくなり、求人があったときに、彼女に応じるよう命じた。東三条院様は、彼女をすぐに雇った。私とのつながりを警戒したかどうか、それは知らないが、彼女の経歴に関して、私が直接関与したことはないので、彼女を雇っていた私の知人すら、彼女が私と関わりがあるとは思いもしなかっただろう。人の寿命を縮めるには、好きなものをたくさん与えることである。酒好きには酒、菓子好きには菓子、女好きには女。東三条院様は甘いものに目がなかった。越前の女は菓子を作るのが抜群に上手である。彼女は、東三条院様に求められるまま、次々においしいものを作った。東三条院様は、この数年で体が倍も太ったように見えた。心臓も弱ってきていた。私は次の段階に進むことにした。疫病が流行り、宣孝や私、邸内の多くの者が病にかかり、それが落ち着いたころだ。ある種の植物から取った薬物を彼女に渡し、微量ずつ東三条院様の食事に混ぜるよう命じた。東三条院様の心臓はますます弱まっていった。都にまだ残っていた疫病が、ようやく東三条院様にもとりついた。彼女に薬物の量を増やすよう命じた。心臓はさらに弱った。流行病のため、肺炎も進行していった。私は彼女にとどめを刺すよう命じた。心臓発作で東三条院様は極楽浄土に召された。誰も疫病以外の原因を疑わなかったという。本人も疫病を恨んで息を引き取ったらしい。私でさえ、薬物など実は関係なかったのではないかという気持ちになるほどであった。
紫式部が石山寺で書いた手記だった。夫を亡くし、彰子に仕える前だ。
藤原定家は書籍の量に圧倒された。