すいす物語

すいす物語
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  二〇二二年一月

 ミライがきたので、すいすに行った。
 仕事が終わり、買い物をして、帰宅する。うどんのつゆを火にかけながら、風呂場を掃除していると、トヨタから電話がきた。ミライがきたから、来店してほしいと。二〇二一年五月に発注したのだが、コロナの影響で半導体不足になり、新車の納車はどこも遅れていた。それにしても八ヶ月である。十四年間乗っていたプリウスはまだまだ調子よかったので、その八ヶ月間を楽しんだ。最後の数ヶ月は、ハードディスクの曲を、聞き終わった曲から一曲ずつ消去した。一ヶ月ほど前、一月に納車予定だと連絡があったので、消去作業をさらに早めなければならなかった。だが、それももうあと十曲ぐらい。明日、トヨタに行く途中で、一曲ずつ消去していけば、到着するころには、ハードディスクが空っぽになるだろう。
 翌日、早めに起きて、プリウスを下取りに出す準備をした。しかし、買い物カゴや折りたたみ傘をだすぐらいしか、することはなかった。早めの昼食を食べて、最後のドライブをした。昔の文章で、馬と別れる話をいくつか読んだことがあるが、その気持ちが少しわかるような気がした。プリウスが最初にこの家に来たときのことを思い出した。十四年間で、いろいろなところを走った。車は生きていないが、それでも、感情のようなものがあるのかもしれないと思う。永久に乗れるのなら、このプリウスにずっと乗っていたい。しかし、耐久性の問題や経済性の問題で、車の乗り換えは致し方ない。それに、今回の乗り換えは、それ以上に大きな意味があった。それほどさし迫ったことでもないだろうが、いずれ脱炭素を考えた動力源に切り替えなければならないようである。ガソリン車から、電気自動車、あるいは、水素自動車に乗り換えていこうというのが、現在、世界的に起こり始めた動きのようである。
 水素自動車を選んだわけは、いくつかの要因が重なったからだ。県内に一カ所しかない水素ステーションが割と近くにあること、十四年間の準備で、資金がそこそこ調っていたこと、補助金がかなり出ること、年齢的に、今ガソリン車にしてしまうと、水素自動車に乗る機会は二度と訪れないだろうということ、などだ。もちろん電気自動車も考えなくはなかったが、やはりまだ充電が面倒みたいである。水素自動車は、水素を入れさえすれば、勝手に発電してくれるので、ガソリン並みに手軽である。そんなことを思い返していると、曲の消去もすべて終わり、トヨタについた。
 営業の方が近寄り、手続きが始まった。二時間後に、プリウスを残し、ミライで道路に出た。
 まずは水素ステーションに向かう。ガソリンスタンドはスタンドと言えるので便利だが、水素ステーションはどう言えばいいのだろうか。ステーション? やっぱり、スタンドになるのだろうか? それともすいすと略すだろうか? とりあえず、すいすにしておくか。
三十分もかからずにすいすについた。水素はほんとうに簡単に入った。(2022/02/05)
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 すいす物語
◆ 執筆年 2022年2月5日~