按察

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 世界は気付いたときには、すっかり変わってしまっているのである。昔のあの美しい景色はどこへ行ったのだろう? 気高く神々しいあの方やこの方はどこへ行ったのだろう?
 右大将は馬を急がせた。急ぐ必要はなかったが、気持ちが高ぶり、急がせずにはいられないのだった。
 祖父は偉大であった。父も跡を継ぎ、忠義を尽くした。自分も必死にこれまで努力してきた。それなのに、なぜだろう。いったいどこからおかしくなっていったのだろう。いや、今だって、我が一族の威勢は満ち満ちている。しかし、何か一つ違うのだ。何が違うのか。それは一言では言い表せない。それは、潮のようなものだろうか。まさか潮が引いていこうとしているのか? いや、そんなことはない。潮だって、我が一族には、今も満ちているし、また、安定してもいる。それでも何か胸が騒ぐのは、あの従兄のせいだ。あの従兄は、いつも騒がしいし、不安定だ。潮が満ちていると、とても言うことはできないだろう。乱れて、のたうち回っている。それでも、不思議なのだ。あの従兄の周りには、人を呑み込む渦が取り巻いているような気がする。それが私には、なぜか不気味に感じられる。あの従兄の一族とは、いつか対決しなければならないのかもしれない。
 だが、今はそんなことは考えられない。もしかしたら、あの従兄もこれで完全に終わりかもしれない。よくあんな馬鹿なことをしたものだ。お陰で自分は、思ってもいないものを手に入れることができた。まさか今日、右大将になれるとは思わなかった。これは、本当に、あの従兄のお陰だ。
 右大将は馬に集中していた。馬は丘を越え、田の畦に砂ぼこりを巻き上げた。しかし、馬に集中していても、自然と湧き出た想念があれからこれへと駆け巡った。
 祖父の関白殿が右大将に任じられたのは、三十歳のときだったそうだ。私も三十だ。それでは、私も祖父のような人生を送れるのだろうか? それにしても、関白殿は、私が生まれた年に、関白に就いたのだ。私の幼いころは、祖父が一族の中心にいて、私の父も、伯父たちや伯母たちも、皆祖父に恭しく仕えていた。まだ若かった亡き帝も祖父を頼っていた。姉君の宣耀殿女御は、亡き帝にお仕えするずっと前で、とても美しく、また、優しかった。女御になったのは、祖父が亡くなったあとだった。そういえば、祖父が亡くなってから、我が一族は、ほんの少しずつだが、何となく寂しくなってきたような気がするな。祖父が亡くなってから、さらに年月が経ち、帝が亡くなると、後を追うようにして姉君も亡くなった。立派な人たちは、もうこんなにいなくなってしまったのだ。私が幼いころから、一人前になるころまでの、我が一族と朝廷は、本当に輝かしかった。気高く、美しい心を持った人たちばかりだった。
 右大将は寺に馬を乗り入れた。僧都が迎えに出てきた。宮中から出した使いは、とっくに到着していた。その使いも出てきた。源氏の武士だ。いつも役に立つ男だ。
「このたびは、急に参詣いたしまして、申し訳ございません」
 清潔な袈裟の僧都が合掌した。右大将も合掌した。
「私どもはあなた様とは違い、忙しい身ではございませぬから、どうか、お気遣いなされませぬよう、お願いいたします。それより、右大将に就任なさったとのこと、誠におめでとうございます。おじいさまも、お父上も、きっとお喜びでございましょう」
「はい。それで早速、報告に参ったという次第です」
「それは立派な心がけでございます」
 右大将は墓地に向かった。楡や楓が色づいている。
「おじいさま、父上、私は右大将に昇任いたしました。伯父のご病気がたいそう悪いと聞いたあの男が、伯父の家の前を通り過ぎて、宮中に行き、帝に分不相応な嘆願をしたのでございます。見舞いに来るだろうと思っていた伯父は、怒り狂い、すぐさま宮中に参上し、帝の前で臨時の除目を行ったのです。私も立ち会いました。伯父があの男の右大将を取り上げ、右大将になりたい者はいないかと言いました。皆がおじけづいているので、私が手を上げました」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 按察
◆ 執筆年 2023年8月5日