按察

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 洞窟の入り口の前に立っている萩をよけて、尼は洞窟に入った。
 可須水は、どうしようかという目で、しずくを見た。しずくも困っていた。可須水は、意を決した。これがわが身の破滅につながるとしたら、その運命に従うしかない。そういうことは、たしかに、人生には何度かあるものだ。これが凶と出たら、それは、仕方がない。それに、可須水は、尼の話を聞きたかった。尼の話は、可須水がいま疑問に思っていることの、いくらかを解決するであろう。可須水は、しずくの目を見て、無言でうなずき、洞窟の中に足を踏み入れた。しずくは、少しためらったが、結局、中に進んでいった。
 洞窟の中は、意外にも明るかった。どこかに明かりをとる仕掛けが施されているのだろうと、可須水は思った。奥には、また、隠れたふたがあった。そこをくぐると、洞穴の壁は、木材できれいに覆ってあり、床板もよく磨かれていた。戸がいくつもあったが、尼は、そのうちの一つを開けて、可須水たちを中に通した。寝殿造りの建物にある部屋のようであった。
 尼は、可須水たちを座らせると、厨子から一枚の紙を取り出して、広げた。地図だった。
「これが、越前の地図でございます。三国というところが、現在、問題になっている場所でございます」
「三国というと、継体天皇の出身地でございますか?」
 尼は驚いた顔をした。
「少納言は、よくご存じでございますね」
 可須水は笑った。
「いえ、越前で混乱があるということを聞きまして、少し周囲の人に教わったのでございます」
「さすがでございます。実は、そのことは、今回の騒ぎに深く関係しているのでございます」
 可須水は、驚いた。
「そうなのですか! 驚きました。自分では、まさか関係があるとは知らずに、知っていることを口にしただけですのに」
「少納言は、今回の山賊騒動と継体天皇に、どのような関係があると思われますか?」
「さあ、それは」
「もしかすると、山賊の首領が継体天皇の子孫ですとか?」
 しずくが、思いつきを口にすると、尼は、目を見開いて、しずくの顔を見た。
「しずくさんは、よくご存じですね。驚きました」
 しずくは手を振った。
「いえ、いえ。ほら、東国で反乱を起こした平将門も、桓武天皇の子孫ですから、やはり、そのようなことかと」
「あ、たしかに、現代では、地方のあちらこちらで、ともすれば反旗を翻して、天下を取ろうなどと、よからぬことを考える人たちがいるようですが、そういう人たちは、必ずだれか天皇の子孫とされる人を祭り上げるようですね」
 可須水が言った。
「そうですね。天皇にはたいがい、御子がたくさんおありで、王や源氏、平氏として地方に土着する方々は、近年非常に増えてきているんです」
 尼が言った。それから尼は、越前の状況を、次のように説明した。
 天皇の子は、親王宣下されれば、男子は親王、女子は内親王と呼ばれる。しかし、親王宣下されない場合は、男子は王、女子は女王と呼ばれる。また、天皇の孫以降でも、数世代にわたって、男子は王、女子は女王と呼ばれる。こういった諸王は、尼の言うように、各地に土着し、それなりの勢力を形成していることがあるのである。また、諸王だけでなく、臣籍降下し、源氏や平氏を名乗る者たちも、地方では、相当幅をきかせていたのである。
 東国で反乱を起こした平将門は、しずくの言うとおり桓武天皇の子孫であった。また、彼を煽った、武蔵権守興世王も、桓武天皇の子孫を自称していた。しかし、この王がほんとうに皇族であったのかは、実はよくわかっていないのであった。
 こういう興世王のようないかがわしい人物は、地方にはうようよいるのだが、越前の山賊の首領もその一人だった。彼は、継体天皇直系の王であると自称していた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 按察
◆ 執筆年 2023年8月5日