按察
94
洞窟の中の部屋だから、風が入らないわけだが、どういうわけか、うまく風の通り道が作られているようで、時折空気の流れを感じる。その風のために、萩の葉や花がかすかに揺れる。
「情勢次第なのでしょうかね」
尼は、言った。
情勢は揺れ動いていた。そのとき、そのときの風向きによって、派閥同士は、くっついたり、離れたりを繰り返すのであった。
「しかし、大納言様は、そのようなことはなさりますまい」
「それは、その通りです。大納言様は、今上帝や摂関家と良好な関係を築き上げ、将来、関白に就任することもほぼ確定していると、うかがっております。ですから、今の今、現政権を覆すような動きに賛同するはずはございません。しかし、近江派は、その点で、少し考え方が違っているようでございます。近江派の中核は、昔、百済から渡来してきた者たちの子孫です。中でも、百済の王族の子孫が、実質的な権力を持っています。あなたの恩人は、王族の子孫なのです。水海様というお名前でございます」
「それは、私は知ってはならないお名前のはずですが」
「もう、よろしいのですよ。かつては、大納言様に追及の手が及ばないように、水海様のお名前は、あなた方には決して知らせませんでした。あなた方が知っていることは、せいぜい私のことまででした。それも、私の名さえ、知らされないでいたのです。だから、あなた方が、摂津派から厳しくとがめられることがあっても、あなた方は、情報の出所を口にすることはできなかったのです」
「それを、いまになって、なぜお知らせになるのでしょうか」
「あなた方に、選択していただかなければならなくなったのです」
「選択?」
「そうです。これは、完全にあなた方の自由な意志でお決めいただいて構いません。なぜなら、どちらにしても、安泰であるとは、とても保証できかねることだからです。私たちは、今後、あなた方の選んだ方向に応じて、接触を図ることしかできないのでございます」
なにやら話が深刻になってきて、非常に不安になっているしずくが、口を開いた。
「そのう、私たちは、選択ということをせずに、いままでどおりに、ご指示をいただくというわけには、参りませんでしょうか」
尼は、硬い表情で、首を振った。
「近江派自体が、難しい状況にありますので、これまでのように運営していくことは、できないのではないかと思われます」
可須水は、下を向いていたが、毅然として顔を上げ、まっすぐ尼を見た。
「承知いたしました。決めなければならないということでございましたら、きっとそのようにいたしましょう」
尼は、うなずいた。
「あなたは、どうなさいます?」
尼は、しずくの方を見た。
しずくは、不安そうに可須水の方を見たが、すぐに意を決して、尼を見つめた。
「私も、決断します」
尼は、表情を変えずに、うなずいた。
「では、申し上げましょう。近江派は、今後も現在とまったく変わることのない体制で運営を進めて参ります。しかし、それは、表向きのことでございます。実質的には、百済王族が、その目標達成のために、計画を遂行してまいります。ですから、今後は、あらゆる指示が水海様やそのお父様から、下るはずです。ただし、先ほども申しましたように、表向きは、大納言様が棟梁であるということは、維持されるはずです。当然、大納言様や近江掾からの指示にしたがって行動する要員も必要になってまいります。ですから、近江派に所属する人々は、これから二系統に分かれます。大納言様の系統と、百済王族の系統でございます。大納言様から見ると、近江派は一つの系統に見えるはずですが、実際には、二つに分かれているのです。あなた方は、どちらの系統に所属なさいますか?」
可須水には、選択肢はなかった。可須水は水海に窮地を救ってもらった女である。
「百済王族の系統に所属させてください」
しずくも迷わずに百済王族を選択した。
「情勢次第なのでしょうかね」
尼は、言った。
情勢は揺れ動いていた。そのとき、そのときの風向きによって、派閥同士は、くっついたり、離れたりを繰り返すのであった。
「しかし、大納言様は、そのようなことはなさりますまい」
「それは、その通りです。大納言様は、今上帝や摂関家と良好な関係を築き上げ、将来、関白に就任することもほぼ確定していると、うかがっております。ですから、今の今、現政権を覆すような動きに賛同するはずはございません。しかし、近江派は、その点で、少し考え方が違っているようでございます。近江派の中核は、昔、百済から渡来してきた者たちの子孫です。中でも、百済の王族の子孫が、実質的な権力を持っています。あなたの恩人は、王族の子孫なのです。水海様というお名前でございます」
「それは、私は知ってはならないお名前のはずですが」
「もう、よろしいのですよ。かつては、大納言様に追及の手が及ばないように、水海様のお名前は、あなた方には決して知らせませんでした。あなた方が知っていることは、せいぜい私のことまででした。それも、私の名さえ、知らされないでいたのです。だから、あなた方が、摂津派から厳しくとがめられることがあっても、あなた方は、情報の出所を口にすることはできなかったのです」
「それを、いまになって、なぜお知らせになるのでしょうか」
「あなた方に、選択していただかなければならなくなったのです」
「選択?」
「そうです。これは、完全にあなた方の自由な意志でお決めいただいて構いません。なぜなら、どちらにしても、安泰であるとは、とても保証できかねることだからです。私たちは、今後、あなた方の選んだ方向に応じて、接触を図ることしかできないのでございます」
なにやら話が深刻になってきて、非常に不安になっているしずくが、口を開いた。
「そのう、私たちは、選択ということをせずに、いままでどおりに、ご指示をいただくというわけには、参りませんでしょうか」
尼は、硬い表情で、首を振った。
「近江派自体が、難しい状況にありますので、これまでのように運営していくことは、できないのではないかと思われます」
可須水は、下を向いていたが、毅然として顔を上げ、まっすぐ尼を見た。
「承知いたしました。決めなければならないということでございましたら、きっとそのようにいたしましょう」
尼は、うなずいた。
「あなたは、どうなさいます?」
尼は、しずくの方を見た。
しずくは、不安そうに可須水の方を見たが、すぐに意を決して、尼を見つめた。
「私も、決断します」
尼は、表情を変えずに、うなずいた。
「では、申し上げましょう。近江派は、今後も現在とまったく変わることのない体制で運営を進めて参ります。しかし、それは、表向きのことでございます。実質的には、百済王族が、その目標達成のために、計画を遂行してまいります。ですから、今後は、あらゆる指示が水海様やそのお父様から、下るはずです。ただし、先ほども申しましたように、表向きは、大納言様が棟梁であるということは、維持されるはずです。当然、大納言様や近江掾からの指示にしたがって行動する要員も必要になってまいります。ですから、近江派に所属する人々は、これから二系統に分かれます。大納言様の系統と、百済王族の系統でございます。大納言様から見ると、近江派は一つの系統に見えるはずですが、実際には、二つに分かれているのです。あなた方は、どちらの系統に所属なさいますか?」
可須水には、選択肢はなかった。可須水は水海に窮地を救ってもらった女である。
「百済王族の系統に所属させてください」
しずくも迷わずに百済王族を選択した。