All You Need Is Book(本こそすべて)

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『三四郎』夏目漱石
本は苦手と思っている人は、「早く先に進みたい」という意識を捨ててみよう。一つ一つの情景を明確に思い描きながら、ゆっくり読む。不思議と、その方がページの進みが速い。考えてみれば自然のことかもしれない。その場面を明瞭に理解していると、作品の世界に没入する。時間を意識しなくなる。いつのまにかページが進んでいる。そういう理屈だ。
その場所に訪れないと決して目にすることができない風景がある。本も同じだ。一般常識として『雪国』はこういうあらすじでこういう評価がある、ということを知っていても、やはり実際に読み進めないと情景は味わえない。
夏目漱石は誰もが知っていて、誰もが一度は読んだことがあるだろう。今月は漱石の作品から『三四郎』を選んだ。
九州から東京に出て、大学生活を始めた三四郎が、学問やほのかな恋を経験し、精神的な成長をしていく、というのが『三四郎』のおおざっぱなあらすじである。
前期三部作の筆頭である『三四郎』では、執筆当時四十代の漱石をなぞらえたような広田先生と、大学生の頃の漱石をなぞらえたような三四郎との交流が一つの軸になっている。そういう意味では後期三部作の『こころ』の先生と私の関係に似ている。外国にならって強国への道を突き進む日本は、その裏で日本文化を徐々に失っていく。このことに対する危機感は漱石の一貫したテーマだが、『三四郎』の広田先生にもこれを語らせている。
前半は東京に出てきた三四郎が目にするものすべてにしきりと驚き戸惑う様子が書かれている。当時すでに東京は相当慌ただしい都会だったようだ。
九州から出てきた三四郎は九州の女のように肌が小麦色に焼けた女性が好みのようだ。大学の池の畔で美彌子に出会うシーンはとりわけ有名だが、美彌子に惹かれたのも肌が小麦色だったからである。
『三四郎』で印象的なのは広田先生が夢で会った女のことを学生に話す場面だ。「その時僕が女に、あなたは画(え)だと云うと、女が僕に、あなたは詩だと云った」は名セリフだ。漱石の過去の体験まで勝手に想像を膨らませてしまう。(2010/10/15)
本は苦手と思っている人は、「早く先に進みたい」という意識を捨ててみよう。一つ一つの情景を明確に思い描きながら、ゆっくり読む。不思議と、その方がページの進みが速い。考えてみれば自然のことかもしれない。その場面を明瞭に理解していると、作品の世界に没入する。時間を意識しなくなる。いつのまにかページが進んでいる。そういう理屈だ。
その場所に訪れないと決して目にすることができない風景がある。本も同じだ。一般常識として『雪国』はこういうあらすじでこういう評価がある、ということを知っていても、やはり実際に読み進めないと情景は味わえない。
夏目漱石は誰もが知っていて、誰もが一度は読んだことがあるだろう。今月は漱石の作品から『三四郎』を選んだ。
九州から東京に出て、大学生活を始めた三四郎が、学問やほのかな恋を経験し、精神的な成長をしていく、というのが『三四郎』のおおざっぱなあらすじである。
前期三部作の筆頭である『三四郎』では、執筆当時四十代の漱石をなぞらえたような広田先生と、大学生の頃の漱石をなぞらえたような三四郎との交流が一つの軸になっている。そういう意味では後期三部作の『こころ』の先生と私の関係に似ている。外国にならって強国への道を突き進む日本は、その裏で日本文化を徐々に失っていく。このことに対する危機感は漱石の一貫したテーマだが、『三四郎』の広田先生にもこれを語らせている。
前半は東京に出てきた三四郎が目にするものすべてにしきりと驚き戸惑う様子が書かれている。当時すでに東京は相当慌ただしい都会だったようだ。
九州から出てきた三四郎は九州の女のように肌が小麦色に焼けた女性が好みのようだ。大学の池の畔で美彌子に出会うシーンはとりわけ有名だが、美彌子に惹かれたのも肌が小麦色だったからである。
『三四郎』で印象的なのは広田先生が夢で会った女のことを学生に話す場面だ。「その時僕が女に、あなたは画(え)だと云うと、女が僕に、あなたは詩だと云った」は名セリフだ。漱石の過去の体験まで勝手に想像を膨らませてしまう。(2010/10/15)