All You Need Is Book(本こそすべて)
18
『ハツカネズミと人間』スタインベック
知的障害を抱えて生きる人たちとその家族の苦しみは、恵まれた環境で日々を過ごす人たちにはなかなか想像しにくいかもしれない。今の社会では、そういった方々に対する知識も普及し、法律的なサポート体制も整ってきているので、もしかすると、本書の登場人物であるレニーが現代に生まれていれば、このような悲劇は生まれなかったかもしれない。
この話を今回読み直し、大男レニーの風貌と、それとはあまりにもかけ離れた繊細な心に思いを馳せているうちに、スティーブン・キングの『グリーン・マイル』を思い出してしまった。『グリーン・マイル』の主人公は、幼い少女を無惨に殺害したという罪状で、死刑囚として刑務所に投獄された。しかし、その巨体や外見からは想像できないほど、心が純粋である。また、子どもみたいに暗闇を恐がったりして、とても気が小さいのだ。だから、周囲の人々は、次第に彼の罪状に疑問を抱きはじめる。
本書とイメージが重なるのはこれだけではない。「ミスター・ジングルス」という名前のネズミが効果的に登場するところも似ている。
大男で力が強く、純粋な心のレニーは、小さくて、ふわふわする、かわいらしいものが、大好きだ。うさぎを抱いたり、ハツカネズミを手のひらの中で触ったりすることに、夢中になっていた。しかし、力の加減がよくわからないので、ハツカネズミをすぐに殺してしまい、相棒のジョージにいつも怒られる。また彼は、性的な意味ではなく、うさぎやハツカネズミを触りたがるのとまったく同じ理由で、ふわふわと柔らかそうな、女性の体を触りたがる。それで、相手に恐怖を与え、そこにいられなくなり、ジョージに連れ出され、農場から農場へと渡り歩いているのだ。
動物がたくさん出てくるが、老いて病気になったために撃ち殺される牧羊犬が、特に印象に残った。ひどく匂うし、その犬自身も痛さに耐えられなさそうだから、頭のうしろを銃で撃って、一瞬で楽にしてやったほうがいいだろうと、ある農夫は飼い主を説得した。犬をかわいそうに思いながらも、みんながその農夫に賛成する。犬が飯場(はんば)から連れ出され、銃声が聞こえるまでの緊張感、室内でトランプなどをしながらも、それに集中することができないでいる農夫たちの心境が、ほとんど何の心理描写もないのに、手に取るようにわかるところがすごい。
そして、このシーンは、ラストのレニーの場面でフラッシュバックして、いやが上にも、読者の感情を揺さぶるのである。
この作品の出だしが気に入っている。ギャビラン山脈沿い、サリーナス川のつくる深い淵が描かれ、木々や動物の足跡に続いて、鹿やうさぎやいたちなどが写し出される。大自然で過ごす時間が日常のかなりの部分を占める人でないと書けない情景だ。動物たちがなにかを察知して一斉に隠れる。ジョージとレニーがやってきた。このあと展開する悲惨な事件そのものが、生態系の小さな一端としての人間の営みに過ぎないと、作者は言いたいようだ。(2012/4/13)
知的障害を抱えて生きる人たちとその家族の苦しみは、恵まれた環境で日々を過ごす人たちにはなかなか想像しにくいかもしれない。今の社会では、そういった方々に対する知識も普及し、法律的なサポート体制も整ってきているので、もしかすると、本書の登場人物であるレニーが現代に生まれていれば、このような悲劇は生まれなかったかもしれない。
この話を今回読み直し、大男レニーの風貌と、それとはあまりにもかけ離れた繊細な心に思いを馳せているうちに、スティーブン・キングの『グリーン・マイル』を思い出してしまった。『グリーン・マイル』の主人公は、幼い少女を無惨に殺害したという罪状で、死刑囚として刑務所に投獄された。しかし、その巨体や外見からは想像できないほど、心が純粋である。また、子どもみたいに暗闇を恐がったりして、とても気が小さいのだ。だから、周囲の人々は、次第に彼の罪状に疑問を抱きはじめる。
本書とイメージが重なるのはこれだけではない。「ミスター・ジングルス」という名前のネズミが効果的に登場するところも似ている。
大男で力が強く、純粋な心のレニーは、小さくて、ふわふわする、かわいらしいものが、大好きだ。うさぎを抱いたり、ハツカネズミを手のひらの中で触ったりすることに、夢中になっていた。しかし、力の加減がよくわからないので、ハツカネズミをすぐに殺してしまい、相棒のジョージにいつも怒られる。また彼は、性的な意味ではなく、うさぎやハツカネズミを触りたがるのとまったく同じ理由で、ふわふわと柔らかそうな、女性の体を触りたがる。それで、相手に恐怖を与え、そこにいられなくなり、ジョージに連れ出され、農場から農場へと渡り歩いているのだ。
動物がたくさん出てくるが、老いて病気になったために撃ち殺される牧羊犬が、特に印象に残った。ひどく匂うし、その犬自身も痛さに耐えられなさそうだから、頭のうしろを銃で撃って、一瞬で楽にしてやったほうがいいだろうと、ある農夫は飼い主を説得した。犬をかわいそうに思いながらも、みんながその農夫に賛成する。犬が飯場(はんば)から連れ出され、銃声が聞こえるまでの緊張感、室内でトランプなどをしながらも、それに集中することができないでいる農夫たちの心境が、ほとんど何の心理描写もないのに、手に取るようにわかるところがすごい。
そして、このシーンは、ラストのレニーの場面でフラッシュバックして、いやが上にも、読者の感情を揺さぶるのである。
この作品の出だしが気に入っている。ギャビラン山脈沿い、サリーナス川のつくる深い淵が描かれ、木々や動物の足跡に続いて、鹿やうさぎやいたちなどが写し出される。大自然で過ごす時間が日常のかなりの部分を占める人でないと書けない情景だ。動物たちがなにかを察知して一斉に隠れる。ジョージとレニーがやってきた。このあと展開する悲惨な事件そのものが、生態系の小さな一端としての人間の営みに過ぎないと、作者は言いたいようだ。(2012/4/13)