All You Need Is Book(本こそすべて)
20
『草の花』福永武彦
福永武彦の文章はとても丁寧で無駄がないと思った。景色を描くにしても、人々の様子を描くにしても、とりあえず書いておこうという気で書いたものではないことがわかる。
冗漫な表現がない。すごい集中力である。これだけ身を入れて書き込んだら、分厚い長編を何十本も残すことはありえまい。
作品数が決して少ないわけではないが、太宰治にしても、やはり現代の多作作家に比べれば、少ないと言うよりほかないだろう。その代わり、書いたもののほとんどすべてが、平成の現代にも出版されており、そのどれも、内実があり、感動させる力を持っている。
その点では残念ながら、たとえば前回紹介した井上靖でさえ、わずかに及ばずという気がしてしまう。井上靖は文句なしに面白く、美しい箇所も多い。しかし、新聞に長々と連載し続けなければならないという制約があるせいか、力強い部分と普通程度の部分が混ざっている。物量作戦を強いられると井上靖でさえそうなのだ。まして、コピー&ペーストの集大成のような昨今の多作作家の作品はなおのことであろう。
若くして結核で亡くなった有名人は多い。また、結核を扱った文学作品も多い。
本書は無理な手術を受けて夭折(ようせつ)した汐見茂思(しおみしげし)の遺したノートの内容が中心になっている。そこには愛を得られず孤立した汐見の内面がつづられていた。
いつも口の悪い汐見が、肺摘(はいてき)の手術を受けるとさらりと言って手術室に運ばれていく場面、日頃彼にあまり好感を抱いていなかった同室の人たちが、手術からなかなか戻らないことを口には出さないがとても心配し、結局もの言わぬ姿で戻ってきた彼を見て泣きだす場面など、非常に感慨の深いものがある。
汐見のノートには、藤木千枝子の愛を失った悲しみが告白されていた。なぜ彼は美しい千枝子の愛を失ったのか。汐見は偶像のように千枝子を愛そうと努めた。しかし千枝子は決して完璧ではない当たり前の人間として見てほしかった。漱石の『三四郎』に出てくる男の夢を思い出す。夢の中で男は女に言った。「あなたは画(え)だ」。女は答えた。「あなたは詩だ」。高校生ぐらいの男子には、女性を偶像視するあまり気取って失敗するものも多いが、もっと普通に接して普通に話すことが大切なのかもしれない。
それにしても、汐見と千枝子が惹かれあっていくときの感情の高まりには臨場感があり、恋愛小説としては、『三四郎』や『こころ』よりも読み応えがある。
本が貴重で家が貧しく、読める本が数冊しかなかったら、あるものがどんなものであろうとも、むさぼるように読み、書かれている言葉を一つ一つ噛みしめるかもしれない。
今の日本にいてそんな状況を想定することは難しいが、最近わたしはなるべくそんなふうに思うようにして本を読んでいる。しかし、もしかするとこれは事実かもしれない。いま読んでいる数行の文章、これをふたたび読み味わうことなど、一生のうちにそうそうないのだから。(2012/6/15)
福永武彦の文章はとても丁寧で無駄がないと思った。景色を描くにしても、人々の様子を描くにしても、とりあえず書いておこうという気で書いたものではないことがわかる。
冗漫な表現がない。すごい集中力である。これだけ身を入れて書き込んだら、分厚い長編を何十本も残すことはありえまい。
作品数が決して少ないわけではないが、太宰治にしても、やはり現代の多作作家に比べれば、少ないと言うよりほかないだろう。その代わり、書いたもののほとんどすべてが、平成の現代にも出版されており、そのどれも、内実があり、感動させる力を持っている。
その点では残念ながら、たとえば前回紹介した井上靖でさえ、わずかに及ばずという気がしてしまう。井上靖は文句なしに面白く、美しい箇所も多い。しかし、新聞に長々と連載し続けなければならないという制約があるせいか、力強い部分と普通程度の部分が混ざっている。物量作戦を強いられると井上靖でさえそうなのだ。まして、コピー&ペーストの集大成のような昨今の多作作家の作品はなおのことであろう。
若くして結核で亡くなった有名人は多い。また、結核を扱った文学作品も多い。
本書は無理な手術を受けて夭折(ようせつ)した汐見茂思(しおみしげし)の遺したノートの内容が中心になっている。そこには愛を得られず孤立した汐見の内面がつづられていた。
いつも口の悪い汐見が、肺摘(はいてき)の手術を受けるとさらりと言って手術室に運ばれていく場面、日頃彼にあまり好感を抱いていなかった同室の人たちが、手術からなかなか戻らないことを口には出さないがとても心配し、結局もの言わぬ姿で戻ってきた彼を見て泣きだす場面など、非常に感慨の深いものがある。
汐見のノートには、藤木千枝子の愛を失った悲しみが告白されていた。なぜ彼は美しい千枝子の愛を失ったのか。汐見は偶像のように千枝子を愛そうと努めた。しかし千枝子は決して完璧ではない当たり前の人間として見てほしかった。漱石の『三四郎』に出てくる男の夢を思い出す。夢の中で男は女に言った。「あなたは画(え)だ」。女は答えた。「あなたは詩だ」。高校生ぐらいの男子には、女性を偶像視するあまり気取って失敗するものも多いが、もっと普通に接して普通に話すことが大切なのかもしれない。
それにしても、汐見と千枝子が惹かれあっていくときの感情の高まりには臨場感があり、恋愛小説としては、『三四郎』や『こころ』よりも読み応えがある。
本が貴重で家が貧しく、読める本が数冊しかなかったら、あるものがどんなものであろうとも、むさぼるように読み、書かれている言葉を一つ一つ噛みしめるかもしれない。
今の日本にいてそんな状況を想定することは難しいが、最近わたしはなるべくそんなふうに思うようにして本を読んでいる。しかし、もしかするとこれは事実かもしれない。いま読んでいる数行の文章、これをふたたび読み味わうことなど、一生のうちにそうそうないのだから。(2012/6/15)