All You Need Is Book(本こそすべて)
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『果てしなき流れの果に』小松左京
文学はあまり好きではない。理工学的な最新の研究、情報技術の応用、宇宙航行術の未来、一般相対性理論と時空間の関係、不確定性原理などといった、科学技術系の本を読むのが好きだ。まさにそういう高校生にうってつけの作家が小松左京だ。
物理学者の野々村が巻き込まれた事件を追いかける我々は、果てしない時空間の迷路をめまぐるしくかけめぐることになる。
太陽活動が活発化し地球に住めなくなった人類が旅立つ宇宙船の中にやってきたかと思えば、先端技術を使って古代人に自分を神と信じこませ、巨大古墳を作らせるといった具合。
三~四〇世紀に時間旅行を始めた未来人が、古代人のところへ現れて、人類の進歩を促したという話も出てくるが、なんともユニークな発想である。しかしそう言われてみれば、いったい誰が農耕を始めたのか、巨大な土木工事はなぜ可能だったのかなど、古代には謎が多い。
事の発端は、一九六〇年代の日本。古墳の中から奇妙な砂時計が発掘された。いくら砂が落ちても上部の砂はなくならず、下部の砂が増えることもない。これを発見した学者たちは、謎の死を遂げるか失踪するかのどちらかだった。野々村も走行中のタクシーから突然消え失せた。運転手は首をかしげるばかりだった。
科学好きの人には村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』はたまらなく面白いが、本書もそうに違いない。きっと一気に読み通してしまうだろう。
よい作品には魅力的な女性が欠かせない。本書にも佐世子というチャームで不思議なヒロインが出てくる。
解説で大原まり子が、佐世子は『ファウスト』に登場するグレートヘンに似ていると言っているが、同感だ。
野々村が、何だか途轍(とてつ)もなく深遠な謎を解明しようと、たったひとりで、ある意味「精神的」な大冒険に出かけたことを悟って、佐世子は誰とも結婚せずに待ち続ける。思わず、福永武彦の『草の花』に登場する千枝子と比較してしまった。『草の花』の汐見は、到底実現かなわぬ理想郷への、まさに精神的な旅の途上で、待つ人もなく、ひとり寂しく死んでいった。汐見がいつか精神の旅を終えて現実生活に戻るとは思えなかった千枝子は、非凡ではないがすぐ近くにいてくれる人を選んだ。
ところが、佐世子は違う。彼女がお寺に生まれ、もともと神秘的な力を持っていたせいもあるが、大切なことがはっきり見えるのだ。野々村が失踪する夜も、発掘調査のため出張していた野々村のホテルに飛行機で飛んできた。平気で「ちょっと顔が見たくなったの」と言って、微笑んでいる。そして、彼が消えてしまうこともわかっていた。でも、いつか必ず帰ってくることも。それにしても、半世紀以上待てるという腹の据わり方には脱帽である。『草の花』で一際(ひときわ)精彩を放つのは汐見だが、本書では間違いなく佐世子である。グレートヘンの存在が『ファウスト』を成功させたように、本書は佐世子あるがために一層素晴らしい作品になっている。(2012/7/9)
文学はあまり好きではない。理工学的な最新の研究、情報技術の応用、宇宙航行術の未来、一般相対性理論と時空間の関係、不確定性原理などといった、科学技術系の本を読むのが好きだ。まさにそういう高校生にうってつけの作家が小松左京だ。
物理学者の野々村が巻き込まれた事件を追いかける我々は、果てしない時空間の迷路をめまぐるしくかけめぐることになる。
太陽活動が活発化し地球に住めなくなった人類が旅立つ宇宙船の中にやってきたかと思えば、先端技術を使って古代人に自分を神と信じこませ、巨大古墳を作らせるといった具合。
三~四〇世紀に時間旅行を始めた未来人が、古代人のところへ現れて、人類の進歩を促したという話も出てくるが、なんともユニークな発想である。しかしそう言われてみれば、いったい誰が農耕を始めたのか、巨大な土木工事はなぜ可能だったのかなど、古代には謎が多い。
事の発端は、一九六〇年代の日本。古墳の中から奇妙な砂時計が発掘された。いくら砂が落ちても上部の砂はなくならず、下部の砂が増えることもない。これを発見した学者たちは、謎の死を遂げるか失踪するかのどちらかだった。野々村も走行中のタクシーから突然消え失せた。運転手は首をかしげるばかりだった。
科学好きの人には村上春樹の『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』はたまらなく面白いが、本書もそうに違いない。きっと一気に読み通してしまうだろう。
よい作品には魅力的な女性が欠かせない。本書にも佐世子というチャームで不思議なヒロインが出てくる。
解説で大原まり子が、佐世子は『ファウスト』に登場するグレートヘンに似ていると言っているが、同感だ。
野々村が、何だか途轍(とてつ)もなく深遠な謎を解明しようと、たったひとりで、ある意味「精神的」な大冒険に出かけたことを悟って、佐世子は誰とも結婚せずに待ち続ける。思わず、福永武彦の『草の花』に登場する千枝子と比較してしまった。『草の花』の汐見は、到底実現かなわぬ理想郷への、まさに精神的な旅の途上で、待つ人もなく、ひとり寂しく死んでいった。汐見がいつか精神の旅を終えて現実生活に戻るとは思えなかった千枝子は、非凡ではないがすぐ近くにいてくれる人を選んだ。
ところが、佐世子は違う。彼女がお寺に生まれ、もともと神秘的な力を持っていたせいもあるが、大切なことがはっきり見えるのだ。野々村が失踪する夜も、発掘調査のため出張していた野々村のホテルに飛行機で飛んできた。平気で「ちょっと顔が見たくなったの」と言って、微笑んでいる。そして、彼が消えてしまうこともわかっていた。でも、いつか必ず帰ってくることも。それにしても、半世紀以上待てるという腹の据わり方には脱帽である。『草の花』で一際(ひときわ)精彩を放つのは汐見だが、本書では間違いなく佐世子である。グレートヘンの存在が『ファウスト』を成功させたように、本書は佐世子あるがために一層素晴らしい作品になっている。(2012/7/9)