電車は開いた扇のふちを走る
9
昔の人たちは多くを知らなかった。それはある面では不幸である。しかし、こうも考えられる。知る打撃を精神に受けない分幸福だったと。
今の人たちは知ることに慣れている。しかし、知る打撃に耐える精神力を伴っているかというと、疑問だ。少なくとも僕にはそういう精神力が育っていないだろう。僕は、妻が他の男のものになったことを知って打撃を受けた。仮に、妻が何かの拍子に違う男と親密になってしまう傾向があるとしよう。それを前提にして考えた時、僕はその部分を含めた上で妻を愛せるだろうか。もしかしたら今まで、そういう傾向があることを知ったら困るから、妻のことを深く理解しようとしなかったかもしれない。それは考えすぎだと思うが、僕は妻という人間を真に理解する努力を怠ってきたと言えるのではないか。いや、そんなことはない。人間はお互いをそこまで深く知ろうとしてはいけないのだ。自分の妻であっても、心の中に深く入り込んではいけないのだ。知る打撃に耐える精神力を持っていないとしたらである。だとすると、人間理解なんていう言葉はそう軽々しく使ってはいけない。互いに理解し合える人間関係は、知る打撃に耐える精神力に裏打ちされて初めて成り立つのだから。僕は残念ながらまだその段階に行っていない。ところで、現代の人間の中でそこまで行っている人たちが一体どのくらいいるのだろうか。僕には、今の人類はそこまで行けないのではないかと思う。次の段階の人類なら可能なのかもしれない。そうなることが望ましいことかどうかはわからないが。
僕は、六分咲きの桜の咲く頃、走る電車の窓から奇妙な扇形を発見した。そして、偏った世界に旅行した。そして、他人の妻をとり、自分の妻をとられた。そしてそれらの経験を通して、我々の次の進化の段階を示唆された気がした。しかも、自分がその進化に適応できないで、そのうちに淘汰されてしまうのではないかということをも薄々知ってしまった。僕は、恐竜であり、ネアンデルタール人である。まだ恐竜やネアンデルタール人の方が救いがある。彼らは知らなかったから。僕は打撃に耐える精神力を持っていないにも拘わらず知ってしまった。ネアンデルタール人がクロマニョン人に滅ぼされたように、僕も油断していると襲撃されて殺されてしまうかもしれない。僕は現代のクロマニョン人が誰なのか突き止めてみたい。もしかしたら僕も現代のクロマニョン人の一人かもしれないじゃないか。胸に希望を。
扇形。僕にはとりあえずこれしか手掛かりがない。扇形がきっかけで知ったのだから。とにかくこの一点にねばるしかないだろう。今日から電車は、書斎ではなく、研究室だ。
「今年は扇形がはやる」
あのとき女子高生が言った言葉も何かのヒントになるかもしれない。僕も時流に遅れずに扇形のプリントのネクタイを締めて、扇形の研究をしてみよう。
今の人たちは知ることに慣れている。しかし、知る打撃に耐える精神力を伴っているかというと、疑問だ。少なくとも僕にはそういう精神力が育っていないだろう。僕は、妻が他の男のものになったことを知って打撃を受けた。仮に、妻が何かの拍子に違う男と親密になってしまう傾向があるとしよう。それを前提にして考えた時、僕はその部分を含めた上で妻を愛せるだろうか。もしかしたら今まで、そういう傾向があることを知ったら困るから、妻のことを深く理解しようとしなかったかもしれない。それは考えすぎだと思うが、僕は妻という人間を真に理解する努力を怠ってきたと言えるのではないか。いや、そんなことはない。人間はお互いをそこまで深く知ろうとしてはいけないのだ。自分の妻であっても、心の中に深く入り込んではいけないのだ。知る打撃に耐える精神力を持っていないとしたらである。だとすると、人間理解なんていう言葉はそう軽々しく使ってはいけない。互いに理解し合える人間関係は、知る打撃に耐える精神力に裏打ちされて初めて成り立つのだから。僕は残念ながらまだその段階に行っていない。ところで、現代の人間の中でそこまで行っている人たちが一体どのくらいいるのだろうか。僕には、今の人類はそこまで行けないのではないかと思う。次の段階の人類なら可能なのかもしれない。そうなることが望ましいことかどうかはわからないが。
僕は、六分咲きの桜の咲く頃、走る電車の窓から奇妙な扇形を発見した。そして、偏った世界に旅行した。そして、他人の妻をとり、自分の妻をとられた。そしてそれらの経験を通して、我々の次の進化の段階を示唆された気がした。しかも、自分がその進化に適応できないで、そのうちに淘汰されてしまうのではないかということをも薄々知ってしまった。僕は、恐竜であり、ネアンデルタール人である。まだ恐竜やネアンデルタール人の方が救いがある。彼らは知らなかったから。僕は打撃に耐える精神力を持っていないにも拘わらず知ってしまった。ネアンデルタール人がクロマニョン人に滅ぼされたように、僕も油断していると襲撃されて殺されてしまうかもしれない。僕は現代のクロマニョン人が誰なのか突き止めてみたい。もしかしたら僕も現代のクロマニョン人の一人かもしれないじゃないか。胸に希望を。
扇形。僕にはとりあえずこれしか手掛かりがない。扇形がきっかけで知ったのだから。とにかくこの一点にねばるしかないだろう。今日から電車は、書斎ではなく、研究室だ。
「今年は扇形がはやる」
あのとき女子高生が言った言葉も何かのヒントになるかもしれない。僕も時流に遅れずに扇形のプリントのネクタイを締めて、扇形の研究をしてみよう。
完
