電車は開いた扇のふちを走る
8
ある時、同僚の一人が言った。
「この二、三ヶ月別人のようだったけど、どうしたんだ」この言葉は僕の中に眠っているある事柄をくりぬこうとした。僕は取り乱した。
「別人?」
「そうだよ。馬鹿に堅苦しくなって、無駄口をきく人誰彼となくくってかかったんだぜ。係長でも課長でも見境なくな。ひやひやしたぜ。君の言うことは正論だったから課長も言い返せず、ただあきれていただけだけど。仕事が忙しすぎたから精神が疲労したんだろうって、休暇をすすめる話も出ていたよ」
そんなこと知らなかったと答えようと思って、はっと息を飲んだ。やっぱりあちらの世界の大真面目な僕が僕の代わりにこの世界に存在したのは現実だったんだ。ここは、うまくごまかさなければならない。
「うん。確かにちょっと疲れがたまって変になっていたんだ。もう大丈夫。個人的にもいろいろあったんだ。でももう解決したから心配は無用だよ」
約三ヶ月のブランクの穴埋めはそれぐらいで済んだ。向こうの世界に戻った僕はもっと苦労するだろうな。何しろあっちの人たちは許容量がないから。でも、仕事自体はきちんとこなしていたからうまく解決するだろう。
そんなことはなんでもない。僕がくりぬかれた事実とはそうたやすく解決できないことだ。もう一人の僕の存在。これがくりぬかれた事実の内容だ。僕であって僕ではない男が僕の代わりにこの世界に存在した事実。それは一時的にせよ妻が別の人間の手にあったことを指している。仮に、同じことが起こっても知らないでいれば心の乱れることはない。知っていれば、心は乱れる。これは許す許さないということではなくて、僕自身の心の状態にとって大問題なのだ。無論、僕は許すし(許すも許さないもないことだ)、きっと口にも出さない(当たり前だ)。しかし、ことあるごとに僕の心は大きく振幅するだろう。まあしかし、その振幅もそんなに遠くない将来に穏やかになるだろう。問題はそんなことではない。僕はもっと厳しく冷たい言葉で精神を激しく打たれたのだ。
自分の気付かないところでは、思いもよらないことが行われている。
こんなことは今までだって当然知っていた。だけど今回この言葉はとても強く僕の精神に打撃を与えた。
人は知ろうとする。知ることで自分を豊かにし、他人に力を与えられると信じている。確かに、知ることは偉大だ。しかし、それと等量の打撃を受けるのだ。僕は未知の世界を知るのと引き替えに、妻についての知りたくない部分まで知ってしまうことになった。
「この二、三ヶ月別人のようだったけど、どうしたんだ」この言葉は僕の中に眠っているある事柄をくりぬこうとした。僕は取り乱した。
「別人?」
「そうだよ。馬鹿に堅苦しくなって、無駄口をきく人誰彼となくくってかかったんだぜ。係長でも課長でも見境なくな。ひやひやしたぜ。君の言うことは正論だったから課長も言い返せず、ただあきれていただけだけど。仕事が忙しすぎたから精神が疲労したんだろうって、休暇をすすめる話も出ていたよ」
そんなこと知らなかったと答えようと思って、はっと息を飲んだ。やっぱりあちらの世界の大真面目な僕が僕の代わりにこの世界に存在したのは現実だったんだ。ここは、うまくごまかさなければならない。
「うん。確かにちょっと疲れがたまって変になっていたんだ。もう大丈夫。個人的にもいろいろあったんだ。でももう解決したから心配は無用だよ」
約三ヶ月のブランクの穴埋めはそれぐらいで済んだ。向こうの世界に戻った僕はもっと苦労するだろうな。何しろあっちの人たちは許容量がないから。でも、仕事自体はきちんとこなしていたからうまく解決するだろう。
そんなことはなんでもない。僕がくりぬかれた事実とはそうたやすく解決できないことだ。もう一人の僕の存在。これがくりぬかれた事実の内容だ。僕であって僕ではない男が僕の代わりにこの世界に存在した事実。それは一時的にせよ妻が別の人間の手にあったことを指している。仮に、同じことが起こっても知らないでいれば心の乱れることはない。知っていれば、心は乱れる。これは許す許さないということではなくて、僕自身の心の状態にとって大問題なのだ。無論、僕は許すし(許すも許さないもないことだ)、きっと口にも出さない(当たり前だ)。しかし、ことあるごとに僕の心は大きく振幅するだろう。まあしかし、その振幅もそんなに遠くない将来に穏やかになるだろう。問題はそんなことではない。僕はもっと厳しく冷たい言葉で精神を激しく打たれたのだ。
自分の気付かないところでは、思いもよらないことが行われている。
こんなことは今までだって当然知っていた。だけど今回この言葉はとても強く僕の精神に打撃を与えた。
人は知ろうとする。知ることで自分を豊かにし、他人に力を与えられると信じている。確かに、知ることは偉大だ。しかし、それと等量の打撃を受けるのだ。僕は未知の世界を知るのと引き替えに、妻についての知りたくない部分まで知ってしまうことになった。