うさぎの穴

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 家が古くなったので、リフォームをしようと思った。
 この家はあまり縁のなかった伯父から譲られたものだ。
 伯父は伯母とずっとこの家で二人で暮らしていた。
 伯母が亡くなり、伯父も数年後に亡くなった。
 伯母の妹が私の母だ。
 伯父には身寄りがなかったので、私の母が遺産を引き継いだ。
 この家をどうしようかと両親が悩んでいたので、私はそこで暮らしたいといった。
 両親はすぐに賛成してくれた。家は人が住まないと痛むし、就労している息子がいつまでも家から出て行かないことを不満に思っていたからだ。
 私も早く家を出たいとは思っていたが、アパートを借りると貯蓄を増やせないから、気が進まなかった。ちょうどそんな折の話だったから、これは、私にとっても、両親にとっても、願ったりかなったりだったのである。
 そういうわけで、暮らし始めて一年近くたったのだが、一つ願いが成就すると、そのありがたみは日に日に薄らいでいき、罰当たりにも、だんだんこの家の古さばかりが目についてきたのである。
 幸い、今まで親のすねをかじって、せっせと金をためこんでいたので、多少のリフォームに回す余裕はあった。
 私は展示場などを回り、業者に相談した。
 何軒か回ったとき、ある業者から、壁紙を貼り変えて、キッチンを新しく使いやすいものにするとよいと提案された。それだけでも、この家をずいぶんと明るい雰囲気に変えることができるだろうというのだ。
 いろいろ検討したが、イメージや実用性、そして一番肝心な予算を考慮して、その業者の提案が一番よさそうだという結論に達し、見積もりを取ってもらうことになった。
 業者が家の図面を見せてほしいというので、クローゼットの奥から引っ張り出した。
 あまり家の図面を見たことがなかったなと思った。
 それで、家の図面を見ていたら、午前中の多くの時間がつぶれた。目も疲れたので、閉じようとした時に、自分の知らない扉に気づいた。これまでの間、それなりに長い時間この家で暮らしていたが、そんなところに扉があっただろうかと疑問に思った。
 それは、ガレージから玄関に出られる扉であった。
 もちろんそんな扉があるはずはない。
 あれば、当然使っていただろう。
 現在使っているのは、ガレージからキッチンに出る扉であった。
 靴脱場が狭いから、靴を持ってキッチンを抜けて、リビングを抜けて、玄関まで行かなければならなくて、不便を感じていた。
 ガレージから玄関に出られる扉があれば、そんなことをするはずないのである。
 だから、絶対にあるはずはなかった。
 その図面の真偽を確かめてみたいと思った。
 玄関に行った。
 図面には扉があるところには、やはり扉はなかった。
 だが、自分の目が本当に確かなのかという疑いは、まだ完全には消えなかった。やはり手で触ってみなければ安心できそうになかった。
 触ってみた。別に問題はない。目に見えない扉を触ったりはしなかった。
 これでいいだろうと自分に言い聞かせるように心のなかで言い、部屋に戻ろうとした。
 実際にもう歩いていたのだが、歩きながら何かが心に引っかかった。
 それは指の感触だった。指が非常に微細な段差のようなものを感じ取っていたのだ。
 私は戻った。そして、壁面をもう一度見てみた。
 壁紙に、よく見ないと気づかないような非常に微細な段差があった。
 私は、その段差を指先で確かめているうちに、工事はあの図面通りに進められていたのかもしれないという仮説を設定してみたい気分になっていった。
 思いついたことを、それが可能であるならば、できるだけ実行してみたいと思う傾向のある私が、その仮説を検証してみようと決断するまでには、それほど多くの時間を必要とはしなかった。
 私が、いろいろな道具をそろえて、壁紙を剥がし始めたのは、約一時間後のことだった。
 壁紙が剥がれ、出入り口にするための空間をふさいだ石膏ボードが完全に露出したのは、それから約一時間半後のことであった。
 こういうことだったのか。計画ではここに出入り口を作る予定だった。しかし、なんらかの理由でそれは取りやめになった。経費削減。たぶんそういうことだろう。それで、開けてしまった空間を塞がなければならなくなったので、石膏ボードを埋め込んだ。なかなか丁寧な仕事である。壁紙を貼ったら、そこに出入り口のための空間を開けた跡などまったく感じられない。それなりに長い時間この家に住んでいて、まったく違和感がなかったのである。
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うさぎの穴

【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 うさぎの穴
◆ 執筆年 2024年