シダ

妖精
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5

 レイコは男性恐怖症だった。過去に忌まわしい体験があることを聞かされた。ホテルに行き、二人で抱き合うだけで彼女は満足だった。しかし、僕の方はそれでは済まされない気分だった。なにしろひどい話だが、彼女とはそれがスタートであり、ゴールでもあると考えていたのだから。ある線を越えようとすることをレイコは許さなかった。僕にはそれが演技のようにしか感じられなかったが、今にして思うとそれがレイコの実状だったのだ。何度も永遠の誓いを立てさせられたが、レイコは心の底から僕に安心できなかったのだと思う。
 迎えに行って、レイコが助手席のドアを開けて、それを閉めるのを確認しないで、車を進めようとした。レイコが悲鳴を上げた。タイヤを足に少し乗せてしまったのだ。僕は、のろのろしてるからだよと、とても冷酷な言葉を口にした。レイコの足はなんともなかったが、レイコの心は僕に対する不信感でどんどん膨らんでいった。
 レイコがいつまでも妖精のままだったのは、そんなことも原因したのだろう。
 結局最後は、僕が一方的に別れを持ち出した。レイコは怒り狂った。一線を越えなくて正解だったといった。男性恐怖症の話なんかしなければ良かったと悔いた。

 あれから十年、幾人かの女の子と知り合った。そして、僕は相変わらず空想の中に生き、いくつかの考えは文章にまとめてみた。
 しかし、どうやってもまとまらないこともあった。書いているうちにどうでもよくなったこともあった。

 遠い村の話を書こうと思った。
 ちょっとしたはずみで昔ながらの生活をしている村に迷い込んでしまうのだ。雪に閉ざされてどうやっても東京に帰ることができない。人々は自給自足の生活をしている。貞操観念がなく、女たちは、泊まりに来た男をもてなすために一夜をともに過ごす。夫よりも客に優先権がある。
 暗く寒い部屋の扉を開けてコミネは入ってくる。隣では夫と子どもたちの寝息が聞こえる。コミネはするっと着ているものを脱ぐ。トキオの布団に入ろうとする。押し問答になる。
 「君は入ってきてはいけない」
 「なぜ」
 「君には夫がある」
 「そうよ」
 「僕にも恋人がある」
 「だから?」
 「僕は君に愛情を持っていない。君も僕に愛情を持っていない。だから、君と寝ることはできない」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 シダ
◆ 執筆年 1998年