シダ

9
しかし、僕が精一杯努力しても勝てない蛙はたくさんいた。
蛙のレースの世界は厚い。僕のような一匹狼にはどうしても越すことのできない壁が存在する。その壁の向こうには、人生の全てをうみがえるにかけたすさまじい調教師の姿があった。そして彼らのうちの才能に恵まれたものか運の良かったものだけが、プロのレーサーになれるのであった。
プロの蛙のレースはものすごい人気がある。特にうみがえるは華々しかった。エメラルドケロケロとかさざなみキングとかマリンゲロゲロなどといった名蛙のレースともなると、入場券を買うための行列が三日三晩並んだ。
僕にはそこまで調教師としてやっていこうという気はなかった。
僕は思う。何か一つにかける人生もあり、多くのことをバランスよく楽しむ人生もある。
蛙の調教をやり、空気の選り分けをもやり、他のいろいろな楽しみをもやっていく人生を選ぶこともできた。しかしそれは、一つにかける何かがなければの話だったのだ。
僕はある眠れない夜に考えた。一つにかけるものが僕にはあるだろうかと。それは何とも言えなかった。自分の能力について客観的に認識することは僕にはとても難しいことだったから。では、どうしても捨てることのできない何かがあるだろうか。僕は消去法で一つ一つ点検してみた。もしも、捨てることのできない何かがなければ、いろいろとバランスよく楽しむ人生を選べばいいのだ。
蛙の調教は捨てられた。空気の選り分けも捨てられた。他のいろいろなものは言うまでもなくもっと簡単に捨てられた。しかし、書くことだけはどうしても捨てられなかった。
一週間、毎夜毎夜、この点検作業を繰り返した。同じことだった。蛙の調教と空気の選り分けはやっとの思いで捨てることができたが、書くことだけはどうしても捨てられなかった。
数ヶ月経つと、また、悩みだした。それで、点検作業の一週間を再度送ることになった。結果は同じだった。また、数ヶ月経つと悩みだした。それでも同じ結論に達した。そうやって二年か三年の月日が流れた。
そして、書く人生を選んだ。
もちろん、今でもたまに悩まされることがある。しかし、書くことだけは捨てられない。これからもやはり悩みが表面化することがあるだろう。そして、書くことをその都度選び直すのだろう。
このように僕は書いてきた。そしてこれからも書くに違いない。
書くということが、僕に与えられた、いや、僕が選び取った唯一の人生なのだ。そう考えられることを幸福だと思う人もいるかもしれない。しかし、そのためにいろいろな楽しみを削ったことで、孤立を深めざるを得ない。耐え難い孤立である。激しい孤立感に陥れば、やはりいろいろな楽しみに身を置いていろいろな人たちと仲良くやりたいと思う。その思いが、僕を例の点検作業に駆り立てる。点検作業は、そのたびに僕を書く人生というレールに押し戻しす。
蛙のレースの世界は厚い。僕のような一匹狼にはどうしても越すことのできない壁が存在する。その壁の向こうには、人生の全てをうみがえるにかけたすさまじい調教師の姿があった。そして彼らのうちの才能に恵まれたものか運の良かったものだけが、プロのレーサーになれるのであった。
プロの蛙のレースはものすごい人気がある。特にうみがえるは華々しかった。エメラルドケロケロとかさざなみキングとかマリンゲロゲロなどといった名蛙のレースともなると、入場券を買うための行列が三日三晩並んだ。
僕にはそこまで調教師としてやっていこうという気はなかった。
僕は思う。何か一つにかける人生もあり、多くのことをバランスよく楽しむ人生もある。
蛙の調教をやり、空気の選り分けをもやり、他のいろいろな楽しみをもやっていく人生を選ぶこともできた。しかしそれは、一つにかける何かがなければの話だったのだ。
僕はある眠れない夜に考えた。一つにかけるものが僕にはあるだろうかと。それは何とも言えなかった。自分の能力について客観的に認識することは僕にはとても難しいことだったから。では、どうしても捨てることのできない何かがあるだろうか。僕は消去法で一つ一つ点検してみた。もしも、捨てることのできない何かがなければ、いろいろとバランスよく楽しむ人生を選べばいいのだ。
蛙の調教は捨てられた。空気の選り分けも捨てられた。他のいろいろなものは言うまでもなくもっと簡単に捨てられた。しかし、書くことだけはどうしても捨てられなかった。
一週間、毎夜毎夜、この点検作業を繰り返した。同じことだった。蛙の調教と空気の選り分けはやっとの思いで捨てることができたが、書くことだけはどうしても捨てられなかった。
数ヶ月経つと、また、悩みだした。それで、点検作業の一週間を再度送ることになった。結果は同じだった。また、数ヶ月経つと悩みだした。それでも同じ結論に達した。そうやって二年か三年の月日が流れた。
そして、書く人生を選んだ。
もちろん、今でもたまに悩まされることがある。しかし、書くことだけは捨てられない。これからもやはり悩みが表面化することがあるだろう。そして、書くことをその都度選び直すのだろう。
このように僕は書いてきた。そしてこれからも書くに違いない。
書くということが、僕に与えられた、いや、僕が選び取った唯一の人生なのだ。そう考えられることを幸福だと思う人もいるかもしれない。しかし、そのためにいろいろな楽しみを削ったことで、孤立を深めざるを得ない。耐え難い孤立である。激しい孤立感に陥れば、やはりいろいろな楽しみに身を置いていろいろな人たちと仲良くやりたいと思う。その思いが、僕を例の点検作業に駆り立てる。点検作業は、そのたびに僕を書く人生というレールに押し戻しす。