シダ

妖精
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13

 コーラは好き勝手に飲めないよ。でもいいんだ。小さい頃と違って、コーラの一〇本や二〇本を買ったって大したことないからね。実は、月給日には会社からコーラが支給されるんだ。同僚はあきちゃって誰か、親戚とかに配っちゃうみたいだけど、僕は好きだから自分で飲む。
 何?……。
 ……、うん、そうだね。いつもこのぐらい話しかけたりすればいいんだね。そういえば、……気が付かなかったよ」
 ブルーベリーの妖精はその夜はじめて満足そうな表情で眠りについた。

 こうやって、三〇歳になろうとする僕と、少しだけ社会的常識を意識するようになったブルーベリーの妖精は、やっと平穏に暮らし始めた。そして、僕の誕生日がやってきた。誕生日の朝のことはもう書いた。僕は、ブルーベリーの妖精に関するちょっとした話は、このぐらいでやめようと思っていた。はじめにも言ったように、僕は考えてものを書くなんてやめようとしていたのだから、本当にとりとめのない話のままに終わらせようと思っていた。しかし、その日は特筆すべき事件が起こり、僕はブルーベリーの妖精の話をもっと続けてみたい欲求に駆られた。それなので、もう少しだけ書いてみようと思う。

 その日――僕は彼女にせがまれたブルーベリーの苗木を買いに行かされ、そのついでに食料品も仕入れることにしたのだ――、ブルーベリーの妖精と僕がスーパーで野菜や魚を吟味していると、一人の男が鋭い目つきで僕たちを見た。はじめは気にしていなかったが、そのあとも二、三度目が合った。目が合うと、急にそしらぬ振りをするが、僕か彼女かどちらかに何か目的があることは明らかだった。おそらく彼女にだろう。僕は彼女との関係を説明する言葉を考えたり、彼女を家から追い出すべきだったかなと後悔したりしていた。
 案の定、僕たちが家に戻った一〇分後、彼は僕の家のドア・チャイムを鳴らした。
 「……という者ですが、突然おじゃまして申し訳ありません」
 どうも僕は名前を覚えるのが得意でないらしい。彼の名前も今となっては全く思い出せない。しかしながら、彼は少なくとも初めのうちは申し分のない紳士だった。彼は、礼儀正しく、要領よく用件を伝えた。ブルーベリーの妖精こそ門前払いに値する不審な人物とするべきだっただろうが、そういう点で彼に落ち度は全くなかった。もっとも、ブルーベリーの妖精と比べたら、門前払いできる人物など、セールスの人とコスモス教の宣教師以外、それほどいるものではない。それに、僕は是非彼と面接してみたいと思った。なぜなら、彼は、ブルーベリーの妖精の夫なのだから。
 ブルーベリーの妖精は彼の顔を見るなり顔を真っ赤にしてわめいた。彼を家の中に入れないよう、しきりに僕の腕を強くつかんで懇願し、僕がそれを聞き入れないのがわかると、あきらめて二階の部屋に閉じこもった。彼が帰ったあと、僕は彼女を部屋から出すために三日間会社を休まざるを得なかった。また、一週間彼女に恨まれ続けた。
 「彼女は私の妻です。私は一刻も早く彼女に戻ってきて欲しいと思っていますが、どうすればいいかわからない」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 シダ
◆ 執筆年 1998年