シダ
14
彼はそう言い、また、僕の協力を求めた。
僕は、事情はよくわからないが、あなたの気持ちを正しく伝え、彼女の気持ちを正しく理解することが全てのスタートだろうと言った。彼はうなづいた。それから、あなたに協力できるかどうかは状況が詳しくわからないと決められないと言った。彼はうなづいた。また、念のために、僕は彼女と暮らしてはいるが、彼女とは単に暮らしているだけに過ぎないと付け加えた。それは迷子の猫を飼い主が見つかるまで健康を損なわないように世話しているようなものだと言った。そこまで伝えて、彼ははじめて安心した表情と感謝の気持ちを示した。でも、ただ暮らしているに過ぎないと言うのは少し嘘があるなと僕は後ろめたくも思った。
彼女のことがいろいろとわかった。
驚いたことに、彼女は大企業の社長の娘であり、その結婚相手である彼もまたその企業の課長なのである。つまり、政略的結婚である。
彼女が常識はずれに世間知らずなのは、社会の境界線をあっち行ったりこっち行ったりしていたからではなくて、庶民的な一切に煩わされない生活を社会の上層部分で送ってきたからなのであった。
彼は、とてもよく彼女を世話したのだそうだ。だけど僕はその口振りに、彼女の生活の窮屈さを十分感じることができた。
「ここまでお話すれば私に協力してもらえますね。お願いします。彼女をここへ連れてきて下さい」
僕は協力するとは口に出さなかった。しかし、否定もしなかった。彼は僕が否定しないから、それを肯定の意味に取ったかもしれない。僕はいつもテンポが遅くて人に誤解される。頭の中で話の順序がもつれて、僕は後の要求に返答してしまった。こうなるといつも初めの要求への答弁には決して戻れなくなるのだ。そして、結果として相手の言いなりになってしまう。この時も全くその通りだった。
「僕は彼女を連れてこられるでしょうか。あの様子です。誰が行ってもかみつくんじゃないでしょうか」
「かみつく?」
「え? あ、いや、……」僕は、僕の前で自由奔放に振る舞う彼女の姿は、決して彼の前では起こり得ないのだということを察知し、言い直した。
「いや、興奮しているために感情を抑制できないで、僕が行っても、あなたが行っても、誰が行っても、彼女は拒否の態度しか示せないのではないかということです」
こんな言い回しでないと彼には意思を伝達し得ないようだ。これは非常に疲れるやりとりだなと、僕はとてもうんざりしてきた。彼女が家を飛び出たのが何となくわかるような気もする。
「なるほど、あるいはそうかもしれません。もしあなたの推測に従うとするならば、私は一体どうすればいいのでしょうか」
「とりあえず、平静を取り戻したら、あなたの気持ちを伝えます。それから、彼女の気持ちを聞きます。そうしたら、ひとまず連絡するというのはいかがでしょう?」
彼はひとしきり沈黙してから言った。
「現段階においてそれがベストとは決して思われないけれども、私にはそれをしのぐ策があるではなし、あなたに従わないわけにはいかないと言ったところでしょうか。では、一つよろしくお頼み申し上げます。くれぐれも無事を第一に。これが私の電話番号ですから、できるだけ早い段階で途中経過でも構いませんから、ご連絡下さい」
僕は、事情はよくわからないが、あなたの気持ちを正しく伝え、彼女の気持ちを正しく理解することが全てのスタートだろうと言った。彼はうなづいた。それから、あなたに協力できるかどうかは状況が詳しくわからないと決められないと言った。彼はうなづいた。また、念のために、僕は彼女と暮らしてはいるが、彼女とは単に暮らしているだけに過ぎないと付け加えた。それは迷子の猫を飼い主が見つかるまで健康を損なわないように世話しているようなものだと言った。そこまで伝えて、彼ははじめて安心した表情と感謝の気持ちを示した。でも、ただ暮らしているに過ぎないと言うのは少し嘘があるなと僕は後ろめたくも思った。
彼女のことがいろいろとわかった。
驚いたことに、彼女は大企業の社長の娘であり、その結婚相手である彼もまたその企業の課長なのである。つまり、政略的結婚である。
彼女が常識はずれに世間知らずなのは、社会の境界線をあっち行ったりこっち行ったりしていたからではなくて、庶民的な一切に煩わされない生活を社会の上層部分で送ってきたからなのであった。
彼は、とてもよく彼女を世話したのだそうだ。だけど僕はその口振りに、彼女の生活の窮屈さを十分感じることができた。
「ここまでお話すれば私に協力してもらえますね。お願いします。彼女をここへ連れてきて下さい」
僕は協力するとは口に出さなかった。しかし、否定もしなかった。彼は僕が否定しないから、それを肯定の意味に取ったかもしれない。僕はいつもテンポが遅くて人に誤解される。頭の中で話の順序がもつれて、僕は後の要求に返答してしまった。こうなるといつも初めの要求への答弁には決して戻れなくなるのだ。そして、結果として相手の言いなりになってしまう。この時も全くその通りだった。
「僕は彼女を連れてこられるでしょうか。あの様子です。誰が行ってもかみつくんじゃないでしょうか」
「かみつく?」
「え? あ、いや、……」僕は、僕の前で自由奔放に振る舞う彼女の姿は、決して彼の前では起こり得ないのだということを察知し、言い直した。
「いや、興奮しているために感情を抑制できないで、僕が行っても、あなたが行っても、誰が行っても、彼女は拒否の態度しか示せないのではないかということです」
こんな言い回しでないと彼には意思を伝達し得ないようだ。これは非常に疲れるやりとりだなと、僕はとてもうんざりしてきた。彼女が家を飛び出たのが何となくわかるような気もする。
「なるほど、あるいはそうかもしれません。もしあなたの推測に従うとするならば、私は一体どうすればいいのでしょうか」
「とりあえず、平静を取り戻したら、あなたの気持ちを伝えます。それから、彼女の気持ちを聞きます。そうしたら、ひとまず連絡するというのはいかがでしょう?」
彼はひとしきり沈黙してから言った。
「現段階においてそれがベストとは決して思われないけれども、私にはそれをしのぐ策があるではなし、あなたに従わないわけにはいかないと言ったところでしょうか。では、一つよろしくお頼み申し上げます。くれぐれも無事を第一に。これが私の電話番号ですから、できるだけ早い段階で途中経過でも構いませんから、ご連絡下さい」