ローカル・コミュニケーション

恋人
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「やだ、かっこいいじゃないですか。女子十二楽坊とか、私も聴きますよ。伝統的な音楽っていいですよね。」
「そんなたいしたものじゃないですよ。子どもの頃からやってたっていうだけですよ。」
「ねぇ。もしお嫌でなかったら聞かせてもらえませんか?」
「えっ? 今からかい?」
「いや、別にどうしてもと言うわけじゃないんですけど。ちょっと、黒澤さんが弾く三味線の音を聴いてみたかったなと思って。」
 彼は、一人で暮らしている男の部屋にまだそれほど親しくない女性を、夜一人で招じ入れるのは不謹慎だと思った。しかし、こういう申し入れを断るには彼は若すぎた。いや、若くなかったとしても、男にはかなり難しい決断であろう。まして、沙於里のように美形で艶やかな女性に請われればなおさらである。

「和室。」
 沙於里は、新しい畳の匂いと真っ白な障子に感動した。
「うーん、イグサのいい匂い。」
「この部屋だけ、和室になっているんだよ。」
 敏行はお茶道具をいじりながら言った。手順良くお茶を入れると、茶托に乗せて沙於里に差し出した。
「趣があるわね。」
 敏行は納戸から大きな箱を取り出し、蓋を開けた。よく手入れされた三味線があった。
 彼は良く通る声を発し、それに合わせて調弦した。そして、民謡を歌いながら、見事に撥をさばいた。
 沙於里は物も言わずに聴き入っていた。曲が終わると彼女は手を叩いて激賞した。彼女は、日頃目立つこともなく、普通にデスクワークをしている黒澤の姿からは、彼のこういった一面を想像することはできなかった。しかし、知り合いの中で一芸にこれほどまでに秀でているものは見当たらないと思った。彼女は、彼の心のこもった演奏と心地よい歌声をずっと聴いていたいと思った。そして、彼女の望みどおり、真夜中まで敏行の三味の音と歌声が、彼女を優しく包み込むように響き渡った。
 その後二人はどちらからともなく互いを求め合った。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 ローカル・コミュニケーション
◆ 執筆年 2006年