ローカル・コミュニケーション

恋人
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 彼は、はっきり拒絶できずに、仕事が忙しいせいにして、今すぐは会えないが、来月あたりは時間が取れそうだと返事を送った。
 仕事が忙しいのは本当で、彼は沙於里と会うこともままならなかった。会ったとしても、映画を観たり、夕食を食べたりするだけで、ゆっくりと過ごすことはできなかった。彼女も忙しそうだった。職場で簡単な言葉を交わすだけの日の方が圧倒的に多かった。日本の景気が上向いてきて、材料を納品している企業が好調で、仕事が増えてきているのだ。敏行と沙於里だけでなく、誰も彼もが無駄口を叩く間もなく、パソコンのキーを叩いている。パソコンのキーを叩いていないときは、営業に出ている。実際、彼が沙於里と一日中顔を会わせない日も多い。そんな状況で、一月ほどが瞬く間に過ぎた。
 律儀なことに、山形寛子は一月ほど経って、会えるかどうか打診してきた。彼女は大手の洋菓子メーカーで商品開発に携わっていた。新商品に使う果物の産地で農家と打ち合わせをするため、敏行の住む市の近くにやってくるということなのだ。ビジネスホテルに宿泊し、夕食はどのスタッフも好きな所で食べるから、自分も一人で抜け出せる。もしよかったら一緒に食事をしないかという誘いであった。
 彼はつい承諾の返事をしてしまった。すぐ行ける場所ということで、時間の調整がしやすかったのだ。それに、メールでは言いにくいことも、面と向かえば言えるような気がしたのである。
「よし、思い切って言ってしまおう。しばらくメールのやり取りをしないで、じっくり考える期間を置きたいんだって。」
 彼は、はっきりと決心を固めた。

 黒澤がデスクで書類に目を通していると、課長に呼ばれた。
 課長室に入ると、早速用件が告げられた。彼は中国へ長期滞在することになった。
「課長、私はこの支社に来たばかりですよ。」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 ローカル・コミュニケーション
◆ 執筆年 2006年