カサダ

猫
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 心なしか、庄屋の口調には親しみが感じられた。私は少し気が軽くなった。通り一遍の叱責を受けるのではなく、しみじみとした話を聞かされることになりそうだったから。私にはその方がよかった。私は常々、腑に落ちない話をされることを嫌った。手際よく、納得のいくように言われると、素直に従おうという気持ちになるが、その逆だと反発心ばかり起きてしまう。おそらく、私の性質を考えて、庄屋が話を練ってくれたのだろう。私は、怒られる立場でありながら、心の中で庄屋に感謝した。
 庄屋は、磯良、磯良と繰り返し言って、しばらく感慨にふけっていた。私は、庄屋の昔話自体には興味を持っていなかったが、磯良、磯良と何度も耳にするうちに、その娘のことが気になってきた。不思議な響きの名だと思った。何か神秘的な雰囲気がある。
 庄屋は、呪文のように名を呼び続けていた。私は気になった。庄屋は私を叱るつもりじゃなかったのか。ところが、今は完全に自分の思いだけにふけっているようだった。私が目の前にいることも忘れてしまったようだった。よく見ると涙が流れている。涙を流しながら目をつぶって、呪文のように、娘の名をつぶやいているのである。
 「旦那様、大丈夫ですか?」私は思わず声をかけた。すると庄屋は、はっとしたように目を開き、涙を流していることを恥じた様子で、うしろを向いて、袖で涙を拭い懐紙で鼻をかんだ。
 「いやあ、面目ない。恥ずかしいところを見せてしまったな」庄屋は、少し赤らめた顔を私に向け、はげ頭をかいた。「つい、あの時の磯良を思い出してしまってな。磯良のことを思い出したら、我知らず、涙がでてきてしまったんだ。思えばかわいそうなことをしてしまったことよ。俺はまったく罪深い男だよ。俺に今の分別があれば、磯良を不幸な目に会わせずに済んだだろうに。あの頃に戻れたらな。俺は磯良をこれ以上ないほどに大事にしてやるんだがな」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 カサダ
◆ 執筆年 2001年7月8日