ロコモーション

10
正幸は無言でわかった、わかったと2度うなずいた。
令子は飛び上がって喜んだ。
「やったあ! やったあ!」
「お、なんだ、なんだ。妙ににぎやかだな」
いつの間にか家に入ってきた渋谷辰吉が、太くて低い、すごみのきいた声で言った。
「あ! タツキチさんだ」令子は辰吉に飛びついた。彼は令子を持ち上げ天井に軽く頭をつけた。
続いて、横山宏美と松田恵が、おじゃましますといいながら部屋に入ってきた。
美智子は剛に3人を紹介した。剛は辰吉を恐がった。それは無理もない。彼は、身長が183㎝で、プロレスラーのように筋肉が盛りあがっていて、ライオンのような険しい目をしているので、小さい子どもで恐がらないものはいない。彼が、巨大な手でちまちまと、クラリネットやサックスを吹いたり、キーボードをたたいたりする姿は想像もできない。しかし、周囲のものは誰も、剛が恐くて泣きだすとは思っていなかった。辰吉は子どもを楽しませるのが好きなのだ。辰吉は魚売りのまねをはじめた。
「さあ、いらはい、いらはい。さあ、そこのお坊ちゃん。今日はいい魚が入ってるよ。甘えび、えぼだい、たこにいか。いわしにかかしにたわしにもやし。どれでも1匹20円」
辰吉の低い声は、威勢のいい魚売りにもってこいだった。彼がリズミカルな節回しで、絶妙に拍子を打ちながら口上を述べだすと、笑わない子どもはいなかった。彼は人を飽きさせないでいくらでもやり続けることができる。辰吉が知っている家に遊びにいくと、子どもでなくても、魚売りやってと頼まれる。
もちろん、辰吉には魚売り以外にもたくさんのレパートリーがある。おかしい言葉がいくらでもでてくるので、正幸はいつも、お前はサックスを捨てて、蛇笛を持って全国を興行に回った方が向いてるんじゃないかとひやかす。辰吉はそれを受けて、演奏中にへまをやると、オレ、蛇回しの旅にでるよと、真顔で言う。正幸は、吹くと丸まっていた先の部分が、調子外れの音とともに伸びる、子どものおもちゃを辰吉に渡す。辰吉がそれをピーといわせて吹くと、観客がどっと笑う。それが癖になって、正幸と辰吉は必ずライブで漫才まがいのことをやるのが習慣となっていた。ライブにくる人たちもそれを楽しみにしている。
辰吉の魚売りのまねに、もちろん剛も喜んだ。いちど辰吉の余興を見た子どもは、彼のことを大きくて力が強くて面白い、絶好の遊び相手だと識別するようになる。剛も夢中になって辰吉にしがみつき、天井まで体を持ち上げてもらった。
「よし! いこう」
正幸の号令にメンバーはすばやく反応した。
ドラムの入っている正幸のビートルには美智子が乗っていっぱいだった。ギター、ベース、アンプ、スピーカー、サックス、テントは恵のうちの軽トラに乗せ、辰吉が運転した。松田恵の家は魚屋である。恵が父から軽トラを借り、駅で宏美を乗せ、辰吉の家にいき、タツキチ運転してよ、うら若き乙女に魚屋の軽トラ運転させるほど情けない男じゃないでしょ、と言い、無理矢理彼に運転させたのだ。恵に軽トラを借りるよう指示するのは正幸だが、実際に運転するのは必ず辰吉なのだ。そして彼はそれを甘んじている。彼は正幸には逆らえない。辰吉はリーダーの正幸を心酔しきっているのだ。
魚まつ、とでかでかと書かれた軽トラを運転する辰吉を、正幸は、こりゃあ、どう見ても魚屋だなとひやかす。辰吉も面白くなって、はちまきをして運転するようになった。
女の子でひとり免許を持っている恵が、辰吉のクリーム色のビートルを運転した。ライブ終了後、メンバーで食べる食料と、宏美、令子、剛、ロボが乗った。
海岸のある場所にくると、500メートルほど沖まで干上がっていて、ステイジマが見えた。海の水がないと、野原の向こうの小高い丘という感じだった。
ステイジマまではレンガでまっすぐ舗装されていた。そこを2台のクリーム色のワーゲン・ビートルと魚まつと書かれた軽トラがゆっくり走っていった。
3台のまん中を走るビートルの中で、令子が剛に言った。
「島に渡ったらこの道に入っちゃだめだよ。夕方になると、海の中に沈んじゃうの。子どもは気がつかないで遊んででられなくなるから、捨島の道で遊ぶなってお父さんに言われてるの」
剛は令子の目を見てこっくりとうなずいた。
令子は飛び上がって喜んだ。
「やったあ! やったあ!」
「お、なんだ、なんだ。妙ににぎやかだな」
いつの間にか家に入ってきた渋谷辰吉が、太くて低い、すごみのきいた声で言った。
「あ! タツキチさんだ」令子は辰吉に飛びついた。彼は令子を持ち上げ天井に軽く頭をつけた。
続いて、横山宏美と松田恵が、おじゃましますといいながら部屋に入ってきた。
美智子は剛に3人を紹介した。剛は辰吉を恐がった。それは無理もない。彼は、身長が183㎝で、プロレスラーのように筋肉が盛りあがっていて、ライオンのような険しい目をしているので、小さい子どもで恐がらないものはいない。彼が、巨大な手でちまちまと、クラリネットやサックスを吹いたり、キーボードをたたいたりする姿は想像もできない。しかし、周囲のものは誰も、剛が恐くて泣きだすとは思っていなかった。辰吉は子どもを楽しませるのが好きなのだ。辰吉は魚売りのまねをはじめた。
「さあ、いらはい、いらはい。さあ、そこのお坊ちゃん。今日はいい魚が入ってるよ。甘えび、えぼだい、たこにいか。いわしにかかしにたわしにもやし。どれでも1匹20円」
辰吉の低い声は、威勢のいい魚売りにもってこいだった。彼がリズミカルな節回しで、絶妙に拍子を打ちながら口上を述べだすと、笑わない子どもはいなかった。彼は人を飽きさせないでいくらでもやり続けることができる。辰吉が知っている家に遊びにいくと、子どもでなくても、魚売りやってと頼まれる。
もちろん、辰吉には魚売り以外にもたくさんのレパートリーがある。おかしい言葉がいくらでもでてくるので、正幸はいつも、お前はサックスを捨てて、蛇笛を持って全国を興行に回った方が向いてるんじゃないかとひやかす。辰吉はそれを受けて、演奏中にへまをやると、オレ、蛇回しの旅にでるよと、真顔で言う。正幸は、吹くと丸まっていた先の部分が、調子外れの音とともに伸びる、子どものおもちゃを辰吉に渡す。辰吉がそれをピーといわせて吹くと、観客がどっと笑う。それが癖になって、正幸と辰吉は必ずライブで漫才まがいのことをやるのが習慣となっていた。ライブにくる人たちもそれを楽しみにしている。
辰吉の魚売りのまねに、もちろん剛も喜んだ。いちど辰吉の余興を見た子どもは、彼のことを大きくて力が強くて面白い、絶好の遊び相手だと識別するようになる。剛も夢中になって辰吉にしがみつき、天井まで体を持ち上げてもらった。
「よし! いこう」
正幸の号令にメンバーはすばやく反応した。
ドラムの入っている正幸のビートルには美智子が乗っていっぱいだった。ギター、ベース、アンプ、スピーカー、サックス、テントは恵のうちの軽トラに乗せ、辰吉が運転した。松田恵の家は魚屋である。恵が父から軽トラを借り、駅で宏美を乗せ、辰吉の家にいき、タツキチ運転してよ、うら若き乙女に魚屋の軽トラ運転させるほど情けない男じゃないでしょ、と言い、無理矢理彼に運転させたのだ。恵に軽トラを借りるよう指示するのは正幸だが、実際に運転するのは必ず辰吉なのだ。そして彼はそれを甘んじている。彼は正幸には逆らえない。辰吉はリーダーの正幸を心酔しきっているのだ。
魚まつ、とでかでかと書かれた軽トラを運転する辰吉を、正幸は、こりゃあ、どう見ても魚屋だなとひやかす。辰吉も面白くなって、はちまきをして運転するようになった。
女の子でひとり免許を持っている恵が、辰吉のクリーム色のビートルを運転した。ライブ終了後、メンバーで食べる食料と、宏美、令子、剛、ロボが乗った。
海岸のある場所にくると、500メートルほど沖まで干上がっていて、ステイジマが見えた。海の水がないと、野原の向こうの小高い丘という感じだった。
ステイジマまではレンガでまっすぐ舗装されていた。そこを2台のクリーム色のワーゲン・ビートルと魚まつと書かれた軽トラがゆっくり走っていった。
3台のまん中を走るビートルの中で、令子が剛に言った。
「島に渡ったらこの道に入っちゃだめだよ。夕方になると、海の中に沈んじゃうの。子どもは気がつかないで遊んででられなくなるから、捨島の道で遊ぶなってお父さんに言われてるの」
剛は令子の目を見てこっくりとうなずいた。