ロコモーション
18
「わたしも監視する」恵がうわずった声で言った。「タツキチはあやしいから」
美智子は恵に笑顔を見せた。恵はまた泣いた。
「ごめんね、ミッちゃん。わたし、悪かったよ」
また、風と雨と波が中に入ってきた。
辰吉は暗くなりはじめた外に頭をだし、下を見た。
「マサユキ、オレのビートルも、浮かんじゃった」
辰吉は情けない声をだした。みんな外に顔をだした。島はすっかり沈み、ビートルも「魚まつ」の軽トラも浮かんで流されていた。水面より上にでているものは松の木だけだった。あたりはすべて、暗い海と黒い空だった。遠くにかすかな光が見えた。町の明かりだった。水面から簡易住宅の床まで2メートルもなかった。大きい波が起こると部屋の中まで海水が入ってくる。その頻度も多くなった。
まだお互いの顔が識別できる中、シートの中で、全員服を脱いだ。美智子は何もつけていない状態で、全員の服と下着を天井にぶら下げていった。正幸と辰吉が外を見てるのを、宏美と恵が厳しい目で監視した。美智子のむきだしの足が床のシートの上を歩く音と、ぬれた服をしぼって力いっぱい広げる音だけが、響いた。
「なあ、マサユキ」
「うん?」
「オレたち死んじゃうのかな?」
ものすごい音をさせて、正幸が辰吉の後頭部をたたいた。
「ワア! 危ねえ! 落ちるとこだった」
辰吉は今のショックでまくれかけたビニールシートをもう1度体に巻き直した。
「お前な、そういうことは死にそうもないときに言ってくれ! こういう時は助かることだけを考えるものだ」
正幸の声は、言いながらしんみりとしていった。
辰吉は黒々とした海面をじっと見つめた。波が大きくうねっている。雨は衰える気配さえ見せない。強い風がさっきから何度も彼のビニールシートをばさばさ音立てさせる。
美智子は全員の服や下着を干し終えると、肌にビニールシートを巻いて、剛を寄せた。
剛の体は冷えて、震えていた。寒い、寒いと繰り返していた彼は、美智子の柔らかい体と腕に抱かれているうちに、しだいに快くなっていくのを感じた。彼の顔は大きな美智子の両胸の間に入っていった。その時になってやっと、彼は安心した表情になった。
ミッちゃんがボクを抱いてくれているんだ。ミッちゃんの体と足と腕がボクを温めてくれているんだ。なんていい気持ちなんだろう。さっき大勢の人たちの前で歌っていたのもミッちゃん、今、ボクを抱いているのもミッちゃん。ミッちゃんって、なんて柔らかいんだろう。なんていい匂いがするんだろう。
彼は背中に力強い美智子の腕を感じながら、そんなふうに思っていた。
令子は、宏美といっしょのシートにくるまって、ずっと剛を見ていた。令子は彼がとても気になっていたのだ。ふたり姉妹の妹だから、弟みたいな年齢の男の子がかわいく思えたのかもしれない。おとなしくて、賢そうな剛が気に入ったのかもしれない。姉に抱かれている剛を見ていると、なんだか胸が苦しくなった。それは令子にとってはじめての感情だった。ほしいのに買ってもらえなかったおもちゃを、友だちが楽しそうに遊んでいるのを、はた目から見ているような気持ちだったかもしれない。
「くやしい」
令子は思わず小さな声で言った。
令子と宏美は背中合わせになって温め合っていたから、宏美には何と言ったのかわからなかった。
「レイちゃん、どうしたの? 何か言わなかった?」
「うん、帰りたいって言ったの」
宏美は、体の向きを変えて、令子の頭をなでた。
「大丈夫よ。きっと帰れるよ。ここに水がやってきたら、わたしがレイちゃんをおぶって、岸まで泳ぐね」
「ありがとう。ヒロちゃん」
令子は、ヒロちゃんて、なんていい人なんだろうと、胸が熱くなるのを感じた。
みんな、なかなか寝つけなかった。寝つけるはずがなかった。こんな激しい雨と風と波の中で。
美智子は恵に笑顔を見せた。恵はまた泣いた。
「ごめんね、ミッちゃん。わたし、悪かったよ」
また、風と雨と波が中に入ってきた。
辰吉は暗くなりはじめた外に頭をだし、下を見た。
「マサユキ、オレのビートルも、浮かんじゃった」
辰吉は情けない声をだした。みんな外に顔をだした。島はすっかり沈み、ビートルも「魚まつ」の軽トラも浮かんで流されていた。水面より上にでているものは松の木だけだった。あたりはすべて、暗い海と黒い空だった。遠くにかすかな光が見えた。町の明かりだった。水面から簡易住宅の床まで2メートルもなかった。大きい波が起こると部屋の中まで海水が入ってくる。その頻度も多くなった。
まだお互いの顔が識別できる中、シートの中で、全員服を脱いだ。美智子は何もつけていない状態で、全員の服と下着を天井にぶら下げていった。正幸と辰吉が外を見てるのを、宏美と恵が厳しい目で監視した。美智子のむきだしの足が床のシートの上を歩く音と、ぬれた服をしぼって力いっぱい広げる音だけが、響いた。
「なあ、マサユキ」
「うん?」
「オレたち死んじゃうのかな?」
ものすごい音をさせて、正幸が辰吉の後頭部をたたいた。
「ワア! 危ねえ! 落ちるとこだった」
辰吉は今のショックでまくれかけたビニールシートをもう1度体に巻き直した。
「お前な、そういうことは死にそうもないときに言ってくれ! こういう時は助かることだけを考えるものだ」
正幸の声は、言いながらしんみりとしていった。
辰吉は黒々とした海面をじっと見つめた。波が大きくうねっている。雨は衰える気配さえ見せない。強い風がさっきから何度も彼のビニールシートをばさばさ音立てさせる。
美智子は全員の服や下着を干し終えると、肌にビニールシートを巻いて、剛を寄せた。
剛の体は冷えて、震えていた。寒い、寒いと繰り返していた彼は、美智子の柔らかい体と腕に抱かれているうちに、しだいに快くなっていくのを感じた。彼の顔は大きな美智子の両胸の間に入っていった。その時になってやっと、彼は安心した表情になった。
ミッちゃんがボクを抱いてくれているんだ。ミッちゃんの体と足と腕がボクを温めてくれているんだ。なんていい気持ちなんだろう。さっき大勢の人たちの前で歌っていたのもミッちゃん、今、ボクを抱いているのもミッちゃん。ミッちゃんって、なんて柔らかいんだろう。なんていい匂いがするんだろう。
彼は背中に力強い美智子の腕を感じながら、そんなふうに思っていた。
令子は、宏美といっしょのシートにくるまって、ずっと剛を見ていた。令子は彼がとても気になっていたのだ。ふたり姉妹の妹だから、弟みたいな年齢の男の子がかわいく思えたのかもしれない。おとなしくて、賢そうな剛が気に入ったのかもしれない。姉に抱かれている剛を見ていると、なんだか胸が苦しくなった。それは令子にとってはじめての感情だった。ほしいのに買ってもらえなかったおもちゃを、友だちが楽しそうに遊んでいるのを、はた目から見ているような気持ちだったかもしれない。
「くやしい」
令子は思わず小さな声で言った。
令子と宏美は背中合わせになって温め合っていたから、宏美には何と言ったのかわからなかった。
「レイちゃん、どうしたの? 何か言わなかった?」
「うん、帰りたいって言ったの」
宏美は、体の向きを変えて、令子の頭をなでた。
「大丈夫よ。きっと帰れるよ。ここに水がやってきたら、わたしがレイちゃんをおぶって、岸まで泳ぐね」
「ありがとう。ヒロちゃん」
令子は、ヒロちゃんて、なんていい人なんだろうと、胸が熱くなるのを感じた。
みんな、なかなか寝つけなかった。寝つけるはずがなかった。こんな激しい雨と風と波の中で。