ロコモーション

BEETLE
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 美智子は令子の部屋のドアを開け、涼しい表情をふたりに見せた。シャワーのあとの乾ききっていない髪からリンスの匂いが漂った。はっきりと整った顔立ちはいきいきと光っていた。剛は令子を好きだと思うのとは別に、大人の美智子にひかれた。さっきまではヒロちゃんもメグちゃんもいたんだ。剛はそう思った。宏美も恵も違う魅力を持っていた。強い魅力を持つ4人の女性に囲まれると、男の子の気分は変わってくる。男の子は、そのために何かを発想したり、何か行動をはじめたりすることだってある。この世界における男性の活動の半分くらいは、おそらくそこに端を発している。これはたぶん、自然の摂理だろう。だから、男の子は何歳になっても、女の子のそばにいたがるのだ。女の子からしかでてこない雰囲気というものがある。それは、女性だったら決して、何歳になっても手放さないものだ。芸術家の多くはそれを追い求めながら死んでいった。そういった雰囲気に入りこむと男は動けなくなる。剛もそうだった。
 美智子の父が運転する車の助手席に正幸が乗り、うしろには、運転手側から令子、剛、美智子が乗った。気まずい雰囲気をくずすように、美智子は張りのあるアルトでロコモーションを歌いだした。素晴らしい歌声だった。怒りのあまり頭の中が白くなっている美智子の父でさえ、気持ちが落ち着いていくのを感じたほどだった。

 Every baby's doing
 a brand new dance now
 (Come on baby do the locomotion)
 I know you'll get to like it
 if you give it a chance now
 (Come on baby do the locomotion)
 My little baby says
 I can do everything
 It's easier than learning your ABC's
 So come on come on
 Do the locomotion with me
 You've got to swing your hips now
 Come on baby
 Jump up, jump back
 Well I think you've got the knack

 美智子の、透き通って、強じんで、厚みのある歌声に剛は心ごと持っていかれるような気がした。木星の上にいるような感じだった。水の中を歩いているような感じだった。
 剛はいつまでもこうしていたいと思った。うちには帰りたくないと思った。お母さんにもお父さんにも少しも会いたくない。なんで、ミッちゃんとレイちゃんは、白い、格好いいうちに生まれて、音楽をやっているのに、ボクは小さな汚いアパートで生まれて、夫婦げんかばかり見ていなければならないんだろう? 剛は目をつぶって涙を流した。
 令子が剛の涙に気づいた。彼女は洗いたての、白い線の入った、水色のスカートのポケットから、キティちゃんのハンカチをだし、やさしく剛の涙をふき取った。
 「ツヨシ君、お別れするのさみしいね」
 剛はうなずきながらまた涙を流した。今度はどっとあふれた。
 令子は剛の背中を、彼のおばの家に車が着くまで、ずっとやさしくなで続けた。
 「ツヨシ君、おうちに着いたら、ツヨシ君ちのボールペンを借りて、わたしのうちの住所と電話番号を書いてあげるね」
 剛はまたうなずいた。
 「だから、わたしのうちに手紙を書いてね。電話もしてね。ツヨシ君、まだコグレさんのうちにいるの?」
 「わからない」
 「もしいるんだったら、絶対遊びにきてね」
 剛は大きくうなずいた。
 正幸も言った。
 「ツヨシ、さっきロボさあ、さみしがってたんだぞ。おそらくお前が帰っちゃうのがいやだったんじゃないかな? お前、ロボに気に入られてよかったな」
 「うん」
 「そうよ、ツヨシ君。ロボに気に入られるなんてたいしたものなのよ」
 美智子に言われて剛は余計に涙がでた。それを誰もからかわなかった。剛は心ゆくまで泣き続けた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 ロコモーション
◆ 執筆年 2003年7月27日