ギンザ

麗しのサブリナ
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8

 「じゃあ、どうして?」
 「映画をひとりで見ようと思って」
 「そんな、それじゃつまらなくない?」
 秀幸は黙ってしまった。
 「ねえ、それ売ってくれない?」
 秀幸は目を見開いて愛子を見つめた。
 「キミは誰かを待ってるんだろ?」
 「わたしもふられたみたい。わたし、実はこの映画がとても見たかったの。ねえ、それ売ってよ」
 「あげるよ」
 「そんなの悪いわ。今お金だすわ」
 さいふをあけようとする愛子の手を押しとどめて、彼は言った。
 「いいんだよ。だって、これはもともとキミのために買ったんだから」
 「え!?」
 愛子は不思議そうな顔で秀幸を見た。彼はそんなことにかまわないで、彼女の手を引いて映画館に入っていった。
 ふたりは暗い中に並んで座り、まっすぐスクリーンを見つめていた。互いの服がふれあうほどの距離だった。
 秀幸は不思議な興奮状態の中にいた。会ったその時からずっと思い続けた女の子と並んで座っているのだ。映画に誘うことができなかったのに、今こうしていっしょに映画を見ている。
 秀幸はスクリーンの中で動いている人たちには興味がなかった。隣の女の子の細かい体の動きや息づかいが気になった。
 愛子は真剣に映画を見ていた。ヘップバーンはキュートだと思った。ボガートはかっこいいと思った。彼女はこれほどおしゃれな映画は見たことがないと思った。
 秀幸もそれなりにこの映画が気に入った。それは彼にとって意外なことだった。なぜなら、彼は映画に対して偏見を持っていたからだ。きっと無内容なのだろうと思っていた。外見のきれいな男女が出演して、たいして意味のない、それでいて大衆に受けそうなストーリーを展開させているだけだろうと思っていた。しかし、彼はその考えは修正しなければと思った。確かに、設定は典型的なものだったが、そこでの男女の気持ちの移り変わりは、とても味わい深いものがあった。人間を深く観察しているものでなければ描くことはできないだろうと思われた。映画というものが、これほどのものならば、東京にいるうちにもっと見ておいてもよかったと思った。
 映画館をでたふたりは、しばらく無言で立っていた。ふたりはそわそわして互いの顔を見た。秀幸はこのあとのことは何も考えていなかった。
 「あの……」
 彼のためらいがちな言葉は愛子に聞こえなかった。彼女は、明るく言った。
 「どこかでごはん食べようよ」彼女のこの言葉がこの日のこれからのふたりの行動を決定した。「あなた……お名前は?」
 「タムラヒデユキ」
 「ヒデユキさん、どこか食事のできるところ、知ってますか?」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 ギンザ
◆ 執筆年 2004年5月4日