ギンザ

9
秀幸は困った。彼は、ほとんど下宿の食事ですませていたからだ。下宿のおばさんが体調を崩したりした時には、外で食べることもあったが、その時は、山村食堂か中華料理「上海飯店」にいった。どちらも、個人経営の、どこにでもよくある小さな食堂といったところで、意中の女の子とはじめてのデートらしき時にいくようなところではなかった。しかし、彼の頭からはそれ以外の店は何もでてこなかった。彼が困っていると愛子はやさしく言った。
「わたし、どこでもいいのよ」
「でも」彼はなおためらった。
「いいから、つれていってよ。本当、おなかすいて動けなくなりそうだから、早くして」
秀幸は仕方なく、雪のやんだ通りを先に歩き、自分の下宿の目の前にある、古い食堂に彼女をつれていった。彼の意外なことに、彼女はひとつもいやな顔をしなかった。むしろうれしそうに、山村食堂とかいてあるのれんをくぐって店の中に入った。
カウンターの上から紙でかいたメニューがひとつひとつぶらさがっているような店だ。彼女はそれをしばらくながめていた。店のおばさんが、水の入ったコップをふたつ、彼らの小さなテーブルに置いた。彼女はすばやく注文した。
「さんま定食」
秀幸は彼女の注文に少し驚いた。彼は、彼女が親子丼など、こぢんまりと食べられるものを頼むような気がしていたのだ。彼が意表をつかされていると、店員が催促した。
「お客さんは何にしますか?」
そう言われてやっと彼も注文をした。「かつ丼をお願いします」
店員は何のあいそもなくキッチンに戻っていった。
やがてふたりのところへ、おいしそうなにおいをふりまきながら、さんま定食とかつ丼がやってきた。彼女は無我夢中でさんまにかじりつき、「おいしい、おいしい」と、しきりに言った。
愛子は、さんまにひと段落すると、秀幸に話しかけた。
「このお店、おいしいね」
「そうかな?」
「そうだよう。よくくるの?」
「下宿のおばさんが寝こんだ時だけね」
「どこ? 下宿」
「この店の正面にある建物だよ」
「へえー」愛子は窓ガラスに顔を寄せて、外のようすをうかがった。しばらくそうしてから、また秀幸の方を見た。
秀幸は失敗したと思った。きたない下宿が見られるおそれのある店ではなくて、少し離れたところにつれていけばよかったと思った。
「ねえ、部屋を見ちゃだめ?」
秀幸は驚いた。予想もしない言葉だったから。
「かまわないけど、明日でていくから、何もないんだよ」
「引っ越しするの?」
「学校が終わって、いなかに仕事口が見つかったのさ」
「わたし、どこでもいいのよ」
「でも」彼はなおためらった。
「いいから、つれていってよ。本当、おなかすいて動けなくなりそうだから、早くして」
秀幸は仕方なく、雪のやんだ通りを先に歩き、自分の下宿の目の前にある、古い食堂に彼女をつれていった。彼の意外なことに、彼女はひとつもいやな顔をしなかった。むしろうれしそうに、山村食堂とかいてあるのれんをくぐって店の中に入った。
カウンターの上から紙でかいたメニューがひとつひとつぶらさがっているような店だ。彼女はそれをしばらくながめていた。店のおばさんが、水の入ったコップをふたつ、彼らの小さなテーブルに置いた。彼女はすばやく注文した。
「さんま定食」
秀幸は彼女の注文に少し驚いた。彼は、彼女が親子丼など、こぢんまりと食べられるものを頼むような気がしていたのだ。彼が意表をつかされていると、店員が催促した。
「お客さんは何にしますか?」
そう言われてやっと彼も注文をした。「かつ丼をお願いします」
店員は何のあいそもなくキッチンに戻っていった。
やがてふたりのところへ、おいしそうなにおいをふりまきながら、さんま定食とかつ丼がやってきた。彼女は無我夢中でさんまにかじりつき、「おいしい、おいしい」と、しきりに言った。
愛子は、さんまにひと段落すると、秀幸に話しかけた。
「このお店、おいしいね」
「そうかな?」
「そうだよう。よくくるの?」
「下宿のおばさんが寝こんだ時だけね」
「どこ? 下宿」
「この店の正面にある建物だよ」
「へえー」愛子は窓ガラスに顔を寄せて、外のようすをうかがった。しばらくそうしてから、また秀幸の方を見た。
秀幸は失敗したと思った。きたない下宿が見られるおそれのある店ではなくて、少し離れたところにつれていけばよかったと思った。
「ねえ、部屋を見ちゃだめ?」
秀幸は驚いた。予想もしない言葉だったから。
「かまわないけど、明日でていくから、何もないんだよ」
「引っ越しするの?」
「学校が終わって、いなかに仕事口が見つかったのさ」