ギンザ

麗しのサブリナ
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11

 秀幸はもういちどうなずいた。
 「わたしがいなかったから、お茶を買っただけで帰っちゃったの?」
 「うん」
 「それで、ひとりで映画を見て、明日は故郷に帰るつもりだったの?」
 「……」
 「もういちどあなたと会うことになったのは、なんだかおかしなことね」そう言って愛子は声を立ててしばらく笑った。
 愛子はミルクパンの中身を捨て、水を入れ、火にかけた。それが沸騰するまで彼女はざぶとんに座った。
 秀幸もざぶとんに座った。愛子は黙って彼を見つめた。彼はいごこちが悪そうにしていた。
 「何で黙っているの?」
 彼はますますいごこちが悪そうにした。
 「いや、別に」
 愛子はさらに畳みかけて尋ねた。
 「さっきのことを話してくれるんじゃないの?」
 彼もそうしたかったが、なかなか切りだせなかったのだ。しかし、彼は決意を固めた。
 「お茶屋の店先でキミにお茶をもらった時、ボクは思った。東京での4年間、勉強ばかりしてきて、もったいなかったと。もっと早く、銀座通りを歩けばよかったと思った。ボクは東京での最後の思い出にキミと映画を見られたらどんなにすばらしいだろうと思った」
 秀幸は、映画のチケットを渡せなくて銀座の中心街を何周もしたことや、思いきって店に入った時、目的の相手がいないので、お茶をたくさん買って帰ったことを話した。
 愛子は笑ってはいけないと思った。しかし、どうしてもこらえることができなかった。秀幸の話し方は真剣そのものなのに、その話の内容がその態度とちぐはぐしているのが、妙におかしかったのだ。こういう話をする時は、少し話し上手な人だったら、聞き手を笑わせることをねらうだろう。ところが、秀幸のようすには、そんな意図がまったくなさそうなのだ。それが彼女を笑わさないではすまさなかった。彼女は楽しそうに笑いながら、この人は、話し上手な良平とは、まったく反対の人柄なんだと思った。
 秀幸は、自分が勇気をだして真意を伝えようとしているのに、愛子が笑いだしてしまったので、おろおろしてしまった。そこへ、水の沸騰する音が聞こえてきた。
 「笑ってしまってごめんなさい。今、お茶いれるね」
 愛子は、ミルクパンひとつしかないキッチンで、どうやってお茶をいれようか悩んだ。そして、ミルクパンの中の熱い湯に、少量のお茶を落とした。お茶の葉が広がるのを待って、安っぽい湯飲みに、お茶っ葉が極力入らないようにして、お茶を注いだ。
 「はい」愛子は湯飲みをひとつ、うれしそうに秀幸に手渡した。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 ギンザ
◆ 執筆年 2004年5月4日