ギンザ

麗しのサブリナ
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12

 「ありがとう」秀幸は、ひと口お茶を飲んだ。信じられないくらいにおいしかった。彼はゆっくりとおいしそうに最後の1滴まで飲みほした。彼は愛子の顔を見ながら言った。
 「こんなにおいしいお茶を飲んだのははじめてだよ。ごちそうさま」
 「わたし、ありがとうと言われることも、ほめられることも、大好きよ。それから、ごちそうさまっていう言葉も好き」
 愛子は、両手で湯飲みを包んで、おいしそうにお茶を飲んだ。その姿を見ているだけで秀幸は幸福になった。自分への東京みやげとして、いつまでも胸に焼きつけておこうと思った。もしも、かなうものならば、故郷へつれていってしまいたいとまで思った。
 「それで、さっきの話の続きは?」
 愛子は、湯飲みを畳の上に置いて、秀幸の顔を見た。秀幸はあわてて自分の夢想を追い払った。
 「それだけだよ。そのあとは、チケット代がもったいないから、ひとりで映画を見ようとしたら、キミと出会った。そして今に至る」
 秀幸の言い方がなんとなくおかしいので、愛子はまた少し笑い、質問した。
 「故郷に帰るの?」
 「うん」
 「帰れる故郷があるのは幸せなことだわ」
 秀幸は少し顔をしかめた。
 「ボクだって東京に残りたかったんだ」
 愛子は、秀幸が気を悪くしたと思って、あわてた。
 「ごめんなさい。気にさわること言ったかしら? わたし、自分が故郷には絶対帰らないつもりでいるから、ついそういう気持ちがでちゃったんだわ」
 「キミは東京にはどんな理由でやってきたんだい?」
 「わたしはね……」愛子は、自分の夢を語りはじめた。
 無邪気に夢の実現を追い求めている愛子のことを、秀幸はほほえましく思った。
 4年前、大学に入学した自分自身を見るような気がした。ひたすら、夢が実現することを信じて、何も恐れないで前に向かっていこうとしている。目の前の美しい少女は、まさにそういう状態にいる。かつての自分もそうだった。しかし、今の彼はそうではなかった。彼は夢見たものをあきらめた。残念だが仕方がないと思った。能力には限界があるし、環境には制約がある。そういうことを実感できる年齢になったのだ。実感しなくてはいけないのだ。彼はそんなふうに考えていた。しかし、だからと言って、彼は、年下の愛子に対して、同じ考えを強制しようとは思わなかった。もしかしたら、愛子は夢を実現するかもしれない。実現できなかったとしても、自分の限界を実感するということは、自分で獲得しなければならない。彼はふと、愛子を応援してあげたくなった。
 「歌手になりたいなんて、すばらしい夢だね。キミはとても、そのう」かわいいと言うのが恥ずかしくて、彼は口ごもって、小さい声で「かわいいし」と言い、さらに続けた。「元気で明るいし、やさしいし、お茶をいれるのが上手だし、きっと実現できるよ」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 ギンザ
◆ 執筆年 2004年5月4日