ギンザ

麗しのサブリナ
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17

 愛子は、しばらくみゆき座の前に立ち、人々の顔を眺めていた。それから有楽町駅のホームまで入って、何本もの列車を見送った。彼女はそのうちのひとつに乗ってしまおうかとまで思った。
 結局、愛子は、お茶屋に戻った。わざと元気よく、ふたりにあいさつした。
 「ただいま!」
 伸子とトメは急に大声をだされて驚いた。
 「ああ、びっくりした。アイちゃんかい。おかえり。どうだった。いいことあったかい?」伸子が聞いた。
 「あったよ。わたし、歌手のオーディションに応募することにした。1次選考の結果が、少ししたらでるけど、どうする? わたしが、1か月後に歌手になってたら」
「うわ、アイちゃんが歌手になったら素敵ねえ」伸子は、機嫌のよさそうな愛子の調子に合わせた。
 トメは黙って手を動かしていた。
 愛子はエプロンをかけて仕事に戻った。いつも元気な愛子だが、その時はいっそう元気よく仕事に向かっていた。彼女は、あえて良平のことは口にださなかった。伸子との雑談がそちらへ向きそうになると、威勢のよい声をだして話をずらした。
 伸子は、何かを感じて、愛子に良平のことを聞かない方がいいと思い、それ以後は何も聞かなかった。トメが黙っているのは、トメもそれがわかったからだろうと、伸子は思った。愛子はその日ずっと、歌手になったらどうするこうすると言い続けた。
 第1次選考を通過したという通知がきた。愛子はもういちどあの放送局にやってきた。
 ホールの片隅には、この前の受付係がいた。
 「おねえさん、こんにちは」
 受付の女性は、愛子だとわかると笑顔を見せた。
 「オーディションの1次選考通ったのよ」
 「あら、おめでとうございます。あなたはきれいだから、きっと受かるだろうと思ってましたわ」
 「ありがとうございます。わたし歌には自信があるから、絶対合格するからね。そしたら、必ず報告にくるから、待っててくださいね」
 「頼もしいですね。それじゃあ、期待してますので、がんばってくださいね」
 「はい。では、いってまいります」
 「いってらっしゃいませ」
 愛子はうきうきした気分で、オーディション会場まで歩いた。自分の容貌が写真で選ばれて、天にも昇るほどうれしかった。
 会場に入ると、真剣な表情をしたスタッフや審査員が、応募者にいろいろな指示を与えていた。さすがに愛子は緊張した。
 第1次選考を通った者は大勢いた。それぞれが人並み以上に美しかった。愛子の体はふるえだした。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 ギンザ
◆ 執筆年 2004年5月4日