思われ-チェリー・ブラッサム・ピンク-

桜
prev

7

 その時、さっちゃんは怖くなるほどうれしそうな顔をして、うわずった声で言った。
 「本当に? 本当に駿君、あたしと結婚してくれるのね? じゃあ、約束よ。指きりげんまんしましょう。はい、小指を出して。」
 俺は、さっちゃんに言われるままに小指を出して、指きりげんまんをした。
 「指きりげんまん嘘ついたら針千本飲ます。指切った。はい、これで駿君とあたしはいつまでも一緒よ。うふふふ。」
 さっちゃんは目を細めて、うれしそうに俺の顔を見たんだ。その顔を見ながら、俺は俺の好きなさっちゃんにそんなふうに言われてうれしいはずなんだけど、なぜか風邪を引いた時みたいに体中がぞくぞくするような感じがしたんだ。
 その後のことはあまりよく覚えていないんだけど、さっちゃんとはそれ以来結局一度も会わなかったよ。そんな約束をしたこともそのうちに忘れてしまったしね。それでいて忘れた自分に罪悪感も持たなかった。と言うよりはむしろ、ガキの頃のたわいもない言葉のやりとりに対して、一々罪悪だとか責任だとかを自覚しろと言う方が無理さ。そうだろ? 誰もが皆子供の頃に似たり寄ったりの経験をしているはずさ。だって考えてみてくれよ。虫とか蛙とかを平気で殺して遊んでいるような子供に、遠い将来の約束に対する責任を負わせる方が間違っていないか? 子供なんて判断力が少しも育っていないんだからな。
 そういうわけで、遠い昔に自分がした約束を破ったことを少しも悪いと思っていなかったんだ。さっちゃんにめぐり合うまではね。墓場で出会った小さな女の子が、小さい頃の記憶のままのさっちゃんだと気付いた俺の体中には、すさまじい電撃が走り抜けたよ。鳥肌が立って背筋がぞくぞく震え出した。次の瞬間には、さっちゃんに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになった。理性では、自分は何も悪くないと判断しているんだけど、さっちゃんの寂しそうな笑顔を見ていると、俺はさっちゃんにとても悪いことをしてしまったんだと思わずにはいられなくなったんだ。俺の口から自然に、「さっちゃん、ごめんね。さっちゃんと結婚する約束したのに、俺、すっかり忘れちゃっててごめんね。」という言葉が出てきた。でも、さっちゃんは、何も言わずににこにこ俺の顔を見ているだけなんだよ。だから、俺もそのあと言うべきことがどうしても出てこなくて、さっちゃんの顔を黙って見ていたんだ。どのくらいそうしていたかな。そのうち、さっちゃんの顔が曇って、「早く。」と言って、俺の手を引いてどこかへ連れて行こうとするんだ。その手の感触は、不思議なものだったね。別に変な感触ではないんだけど、何となく違和感があるんだ。その手に触られると、腹の力が抜けて、自分の意志でどこかへ行こうとは考えられなくなるんだ。俺の足が勝手に動いて、さっちゃんと200m程も細い一本道を歩いたかな。なにしろその時の感覚が普通じゃないから、よくわからないんだ。500mだったと言われれば、そんな気もするし、いや、せいぜい100mだったよと言われればそうも思う。とにかく、どこまでもまったく同じ歩幅で歩いていくと、さっちゃんが急に止まった。俺も同時に足を止めた。それまでうつむいていた顔を上げてみると、古い家の玄関があった。古い木の表札があって、堀川○○、○○、○○、桜、と墨で書いてあった。
next

【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 思われ-チェリー・ブラッサム・ピンク-
◆ 執筆年 2007年4月1日