思われ-チェリー・ブラッサム・ピンク-
16
彼との会話もそれほど長くは続かなかった。飲み過ぎて彼はとうとう眠り込んでしまったのだ。私はウイスキーをすぐには探し出せない所にしまい、夜の街に出て、彼のために弁当を買った。私の頭には、彼の言葉が生々しくこびりついていた。
「翔子がいることが俺を生かしているんだ。」
もし本当に彼女が死ぬようなことでもあったら、彼はどうなるんだろう? もっと現実的に考えて、もし私と彼女が「今度の土曜日」にデートをした後で、彼がそのことを知ったら、私を待っている状況はいったいどんなものだろうか? 私はそんなことは想像もしたくないと思った。だがそれにもかかわらず、私の中には、どうしても「今度の土曜日」に翔子とデートをしたがっている自分がいて、しかもそれは急速に私の意志を支配しようとしているのだった。つまり、これから先の私の人生というものは、どう考えて見てもひどく危なっかしいものになるのは間違いなさそうだった。その時の私は、大きな岐路に立っていた。アパートまでのわずかな距離をたどるだけなのに、私の足は空中に浮かんでいるようで、しっかりとは地面を後方へ蹴ってくれなかった。
サイレンの音がけたたましく鳴り出したのはその時だった。とたんに私の心臓は大きな音を立てた。救急車のサイレンだった。私は嫌な予感がした。門倉が急性アルコール中毒で意識不明になって運ばれたんじゃないか? それとも突然暴れだしたのか? しかし、私が自分の部屋を出て弁当を買うまでの間は、ほんの数分である。その短い間に誰かが私の部屋の中に入って、門倉が意識不明に陥っているのを確認して、119番に通報するなんて考えにくいことである。また、あれほど深い眠りに落ちた者が、起きて暴れだすとも思えなかった。「はっ!」私は急にあることを思いついた。「翔子が私の部屋にやってきたのでは?」彼女は何か私に言うために私の部屋にやって来て、門倉が意識不明になっているのを見て、電話をした。しかし、私はすぐに自分自身を笑った。あれから何時間経っていると思うんだ。こんな遅い時間に彼女が来るはずないじゃないか。自宅生だったらとっくに家に帰っているだろうし、下宿生だとしても、わざわざこんな夜に私の所に来るはずがない。そんなふうに、とりとめもなく考えていると、割と近くで救急車のサイレンの音が消えた。私のアパートはまだ先であった。どうやら私は要らぬ心配をしていたようだった。付近が急にざわつき始め、皆同じ方向に向かっている。もちろん私もその方向へ向かっていった。人垣の奥を覗き込むと、ロッテリアの店の前の看板を薙ぎ倒して止まっている車のすぐ近くに、人が倒れていた。その様子が店の灯りでよく見えた。一目で絶望的な状況であることが分かった。血まみれの顔に貼りついている長い髪の毛と、以前は衣服だったと想像できるぼろぼろの布きれとから、かろうじて女だと推測できた。私はその女と目が合ったような気がした。私のことをじっと見て、口から大量の血を吐き出して、体を痛撃させた。私の目がその姿に貼りついてしまったと思った時、私のすぐ近くで甲高い女の声がした。
「湯本君、怖い!」
私は文字通り飛び上がった。見ると、背の低い女子学生が、私の腕にすがり付いてきたところだった。同じ国文科の神保久美子だった。私がもう一度交通事故の被害者に目を転じた時には、すでに救急隊員によって、覆いが掛けられて、救急車に乗せられるところだった。その時、担架の横に、スカートらしきものが、垂れ下がった。スカートらしき布きれは赤い色だった。生地自体が赤い色であるようにも見えたし、血で染まっているようにも見えた。私はその色と模様が気になって、少し考えていた。しかし、久美子の声によって、そのことへの関心はそがれてしまった。
「翔子がいることが俺を生かしているんだ。」
もし本当に彼女が死ぬようなことでもあったら、彼はどうなるんだろう? もっと現実的に考えて、もし私と彼女が「今度の土曜日」にデートをした後で、彼がそのことを知ったら、私を待っている状況はいったいどんなものだろうか? 私はそんなことは想像もしたくないと思った。だがそれにもかかわらず、私の中には、どうしても「今度の土曜日」に翔子とデートをしたがっている自分がいて、しかもそれは急速に私の意志を支配しようとしているのだった。つまり、これから先の私の人生というものは、どう考えて見てもひどく危なっかしいものになるのは間違いなさそうだった。その時の私は、大きな岐路に立っていた。アパートまでのわずかな距離をたどるだけなのに、私の足は空中に浮かんでいるようで、しっかりとは地面を後方へ蹴ってくれなかった。
サイレンの音がけたたましく鳴り出したのはその時だった。とたんに私の心臓は大きな音を立てた。救急車のサイレンだった。私は嫌な予感がした。門倉が急性アルコール中毒で意識不明になって運ばれたんじゃないか? それとも突然暴れだしたのか? しかし、私が自分の部屋を出て弁当を買うまでの間は、ほんの数分である。その短い間に誰かが私の部屋の中に入って、門倉が意識不明に陥っているのを確認して、119番に通報するなんて考えにくいことである。また、あれほど深い眠りに落ちた者が、起きて暴れだすとも思えなかった。「はっ!」私は急にあることを思いついた。「翔子が私の部屋にやってきたのでは?」彼女は何か私に言うために私の部屋にやって来て、門倉が意識不明になっているのを見て、電話をした。しかし、私はすぐに自分自身を笑った。あれから何時間経っていると思うんだ。こんな遅い時間に彼女が来るはずないじゃないか。自宅生だったらとっくに家に帰っているだろうし、下宿生だとしても、わざわざこんな夜に私の所に来るはずがない。そんなふうに、とりとめもなく考えていると、割と近くで救急車のサイレンの音が消えた。私のアパートはまだ先であった。どうやら私は要らぬ心配をしていたようだった。付近が急にざわつき始め、皆同じ方向に向かっている。もちろん私もその方向へ向かっていった。人垣の奥を覗き込むと、ロッテリアの店の前の看板を薙ぎ倒して止まっている車のすぐ近くに、人が倒れていた。その様子が店の灯りでよく見えた。一目で絶望的な状況であることが分かった。血まみれの顔に貼りついている長い髪の毛と、以前は衣服だったと想像できるぼろぼろの布きれとから、かろうじて女だと推測できた。私はその女と目が合ったような気がした。私のことをじっと見て、口から大量の血を吐き出して、体を痛撃させた。私の目がその姿に貼りついてしまったと思った時、私のすぐ近くで甲高い女の声がした。
「湯本君、怖い!」
私は文字通り飛び上がった。見ると、背の低い女子学生が、私の腕にすがり付いてきたところだった。同じ国文科の神保久美子だった。私がもう一度交通事故の被害者に目を転じた時には、すでに救急隊員によって、覆いが掛けられて、救急車に乗せられるところだった。その時、担架の横に、スカートらしきものが、垂れ下がった。スカートらしき布きれは赤い色だった。生地自体が赤い色であるようにも見えたし、血で染まっているようにも見えた。私はその色と模様が気になって、少し考えていた。しかし、久美子の声によって、そのことへの関心はそがれてしまった。