思われ-チェリー・ブラッサム・ピンク-

桜
prev

17

 「湯本君、怖い、私、どうしよう。今夜一人だと思い出して、眠れないよ。」
 彼女は心細そうに私の顔を見つめた。
 「そうだ! 湯本君、私のアパートに遊びに来てよ。湯本君と一緒に、テレビを見たり、明日の予習をしたりしていれば、このことを忘れていられるよ。」
 私は困った顔をして、門倉の弁当を彼女に示した。
 「そんなの、私の部屋で食べればいいよ。」
 機関銃のようにまくし立てる彼女のために、私は自分の置かれている立場を一つも説明できないまま、彼女の部屋の前まで行った。そこで別れの言葉を口にしようと思った矢先に、彼女が、「すぐコーヒー淹れるね。」と言って、部屋の中へ入ってしまった。私は開けっ放しのドアから、一人暮らしの女の子の部屋といういまだかつて訪れたことのない世界に、ためらいながらも胸をときめかせて、とうとう足を踏み入れてしまった。異常な出来事に接して気持ちが高ぶったのか、私はいつの間にか、怖がる彼女の背中を撫でてやっていた。彼女は、「私から離れないでいてね。」と、しきりに言い続けた。私の気持ちはさらに高ぶっていった。女の子のよい香りに包まれて、後は夢の中の出来事のようだった。私は、生まれて初めて女の子と抱き合った。しかし、私はあまり快さを感じることが出来なくてがっかりしてしまった。多分私も彼女もあの事件のためにおびえきっていたのがその原因だったのだろう。そのうちに彼女が寝入ったので、私は逃げるように自分の部屋に戻った。自分の部屋のドアを見たら、久美子の部屋のドアを思い出した。それによって私は、久美子の服を脱がしている最中に彼女が言った言葉を思い出した。
 「あの子よ。工学部の湖山って子。有名人なのよ。男がいっぱいいるらしいの。天罰よ。恨みを持っている男がたくさんいるみたいだから。でも、かわいそうね。手足の骨が飛び出てたよね。内臓もはみ出てたよね。うう、気持ち悪い。」
 彼女は私にしがみついてきた。彼女の柔らかく温かい胸が私の裸の胸に押し付けられ、私は頭が熱くなった。
 「あの子、絶対助からないよ。」
 彼女を抱きながら、久美子の言葉とその言葉がイメージさせるものが何度も何度も私の頭に広がり、私の気分はみるみるしぼんでいった。私は早く一人になりたいと思いながら、彼女を抱いていた。外へ出ると、冷たく光る月光の下で、神保久美子が翔子に違いないというあのけが人の無残な姿ばかり思い浮かべて歩いた。私も久美子の言ったことは確かだと思った。私の目と合ったあの気の毒なけが人の目は、翔子の目そのものだった。血の色のように見えた、薄赤い色のスカートは、ほんの十時間ほど前に私とパスタを食べていた翔子が着ていたものだということもはっきりと思い出した。もちろん、翔子だという確信はないし、そうでないことを祈っているが、受け入れがたいことの方が紛れもない現実なのだということを、私の頭の冷めた部分はもう認め始めていた。私は最後の望みとして、あることを門倉に確認して、ほっとすることができたらいいと思い、自分の部屋のドアを開いて中に入っていった。部屋に入ると、門倉がタバコを吸っていた。
next

【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 思われ-チェリー・ブラッサム・ピンク-
◆ 執筆年 2007年4月1日