思われ-チェリー・ブラッサム・ピンク-

桜
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18

 「起きてたのか。」
 「悪かったな。俺、どうかしてたよ。お前の言う通りかもしれない。女は翔子だけじゃないよな。俺、夢を見たんだよ。翔子が死んじゃうんだよ。その時、俺は思ったんだ。この女がどうしてそんなに大事なんだって。あまり言いたくないけど、あいつ、気に入った男とすぐ寝るらしいんだよ。俺は直接知らないけど、この辺じゃ有名な話なんだ。なんだか馬鹿らしくなってさ。あいつなんかどうでもいいと思ったら、急に気持ちが軽くなって、無性に食欲が出てきてさ。でも、お前の部屋には食うものなんか何もないし、お前はいつの間にかどこかへ行っちゃったし、外へ出るのは面倒だし、……というわけで、タバコを吸って紛らしていたってわけさ。ところで、お前今までどこ行ってたのさ?」
 私はすっかり冷めた弁当を門倉の顔の前に突き出した。
 「お前のためにこれを買って来たんだよ。」
 「今までか?」
 「何だよ。せっかく買ってきてやったのに、別に食べてくれなくてもいいぞ。」
 「食べる、食べる。」
 門倉は私の手から弁当を受け取ると、むしりとるように包みをはがし、がつがつとかっ込んだ。
 私は彼に一つ質問した。
 「どうでもいいことだけどさ。湖山さんって、自宅生なのか?」
 自宅生なら、私と別れてからだいぶ時間の経ったあの時間に、あの場所で事故に会うはずがない。断定は出来なくても、かなり可能性が低くなるということは言えそうだ。私は祈るような気持ちで門倉の答えを待った。
 彼は一瞬不思議そうな顔で私を見た。
 「下宿生だよ。この近くの並木ハイツさ。」
 私は気分が悪くなった。並木ハイツは事故現場の目と鼻の先だ。
 「これから俺が言うことを落ち着いて聞いてくれ。」
 彼は私の態度にただならぬものを感じたように見えた。
 「その冷め切った弁当ができたてのほかほかの時刻に、弁当屋から俺のアパートまで歩いていたら、事故を目撃したんだ。一台の車が一人の歩行者に突っ込んだ。救急隊員が毛布をかける直前だったから、ほんの一瞬しか見なかったけど、似てたんだよ。」
 「似てたって、一体誰に?」
 「湖山さんだよ。」
 蝋人形のように表情が固まった門倉を、同じように表情を固めた私がしばらく黙って見つめていた。
 「うそだろ。」
 彼は低い声でうなるようにそう言って、勢いよく立ち上がり、部屋を出て行った。
 「どこへ行くんだ?」
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 思われ-チェリー・ブラッサム・ピンク-
◆ 執筆年 2007年4月1日