思われ-チェリー・ブラッサム・ピンク-

桜
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30

 晩餐を終え、彼らが帰った後、遼子はラプサンスーチョンを少量加えた香り高いミルクティーを淹れてくれた。我が家ではこれに砂糖を加えたものを就寝前に飲みながら、3人でその日にあったことを話し合うのが通例になっていた。寝る前にカフェインを摂るとよく寝られなくなってしまう遼子と、まだ小さな子供である璃鴎は、出来上がったミルクティーにさらにホットミルクをたっぷりと注ぎ足して飲む。だから、多めに作ったラプサンスーチョン入りのミルクティーの残りは、大体私が飲み干すことになっているのである。
 遼子はミルクティーを私のカップに注ぎ足した。
 「薬を一つもらってほしいのよ。」
 私は思わずミルクティーを変な所へ流し込んでしまい、むせてしまった。
 「璃鴎、説明してあげて。」
 璃鴎は大きくうなずくと、神秘的な眼を私に向けた。
 「あの女の子は今にも消えてしまいそうに見えたのに、門倉の小母さんの顔を見たら、とても明るくてすごく陽気なんだ。この間はあれほど元気がなかったのに、別人のように元気だった。それに、なぜか嫌な感じがするんだ。」
 やっと咳が収まった私は、息子を注意した。
 「何の根拠もなく人のことを悪く言うのはよくないぞ。」
 「そうじゃないんだ。僕にははっきりと感じ取れたんだ。」
 私はその時の情景を思い出した。確かに夕食が始まる前に璃鴎は門倉の奥さんのことをじっと見詰めていた。私が不覚にも門倉の奥さんに見とれていた時だった。あまつさえ私は、璃鴎もてっきり私と同じように奥さんの美しさに瞠目しているのだと思い込んでいた。いい気なもので、私は息子も人の子だななどと単純に思っていただけだったが、そうではなかったようだ。璃鴎は奥さんに見とれていたのではなくて、奥さんについての重要な判断をしていたのだ。そんな息子を自分と同列に引き下ろして考えていた私はなんて滑稽な男なんだろう。
 「僕は門倉の小父さんのことが心配なんだ。」
 「私も門倉さんが体調を崩していることがなんだかとても気になるの。あれは単なる風邪じゃないような気がするわ。とにかくあの奥さんが自分の勤める病院から持ってくるという薬を一度調べてみた方がいいわ。ただの風邪薬だったら、何の心配もなくなるわけだし。」
 「奥さんのことをそんなふうに見ていたなんて、二人に知れたら気分を悪くするぞ。」
 「だから、気付かれないようにするのよ。俺もお前の風邪をうつされたみたいなんだけど、薬を分けてもらえないかとか、そこはあなたの言い方でどうにでもなるでしょう?」
 「持って来ないかもしれないじゃないか。」
 「それはないわ。欠かさず飲んでいるって言ってたし、さっきも食べ終わった後飲んでいたわ。」
 またもや私は遼子(と璃鴎)に論駁されて、彼らの計画に沿った任務の遂行が求められることになった。明日は私は重大な指令を二つやり遂げなければならない。大事な体だから早く休めて明日に備えよう。私はスパイ映画の主人公に我が身をなぞらえて、夜の9時頃颯爽とベッドにもぐりこんだ。キングサイズのベッドにはもちろん裸の美女が待ちわびてはいなかった。作戦司令部(私と遼子の書斎)では、作戦本部長(遼子)と参謀(璃鴎)がまだ計画の詳細についてミーティングをしているようだった。子供は遅くまで起きていちゃいけないんだぞと、心の中で愚息を叱りつけながら、家族で一番早寝の健全な私は、もう半分夢の世界に入り込んでいた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 思われ-チェリー・ブラッサム・ピンク-
◆ 執筆年 2007年4月1日