思われ-チェリー・ブラッサム・ピンク-
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私の決断
次の日の朝、二人は「じゃあ、ディズニーランドに行ってきます。」と言って家を出た。「何かお土産、買って来ようか。」と訊かれて、私が「ディズニー牡丹餅がほしいな。」と答えると、二人とも笑った。私が二人の本当の行き先を知っていることは二人ともわかっている。それでもなお二人がディズニーランドに行くという話を前提にして、三人は会話を楽しんでいた。遼子は最近買ったばかりの車に乗り込んだ。フォルクスワーゲンのクロスポロだ。その助手席に璃鴎が乗り、二人とも笑顔で私に手を振る。朝日を浴びて舗装道路を真直ぐ滑っていくオレンジ色のSUVっぽいハッチバック車は、いかにもディズニーランドを目指していそうだった。やっぱり本当にディズニーランドに行くのかなと、まぶしい朝日の中で私は錯覚を覚えるほどだった。ふと気が付くとパソコンに向かって何やら大量の文字列を打ち込んでしまうぐらいに、私は『源氏物語』の研究に取り付かれていたので、10時半頃例の女子大生たちがやって来た時には、遼子たちが出掛けてすでに2時間以上経っていることに気が付いて驚いた。
蒲生茉梨絵は確かにいくつかの質問を持参してきていたが、それは本当の質問というよりは、質問のための質問という感じだった。彼女の二、三の質問に対して私が概略的な解説を与えると、すっかり彼女の疑問は解消し、レポートの方向性が固まっていくようだった。蒲生茉梨絵に関してはそれで全てだった。もう一人の方はもっと簡単に片付いてしまった。そもそも彼女はレポートの対象すらも確定していなかった。私が適当なテーマを与えようとすると、やんわりとそれを拒み、もともとの自分の腹案に落ち着いたようだった。それは、私の研究領域とは外れていたし、他人から助言を受けなくてもどうにかなりそうな様子だった。高校生の時に読んだ古典作品について簡単にまとめる程度のものに過ぎなかった。私が「『宇治十帖』に関するレポートじゃなくていいのですか?」と質問すると、彼女は「無理なら他のことでも構わないと遼子先生に言われているのです。」と答えた。
「君は文学部の一年生じゃなかったっけ?」
私は遼子からの紹介を思い出しながらそう訊いた。
「だって、私、センターの点数が外国語学部には届かなかったから、まあいっかなって、軽い気持ちで文学部に来たんですよ。」
目のパッチリした、フランス・ギャルに似たその小柄な学生はあっけらかんと答えた。世良桃子という名前である。
「だから、医学部の学生より文学に詳しくなくても仕方がないということか。全く、文学なんていうのは随分わびしい存在だな。」
「ごめんなさい。これからしっかり勉強していきマース。」と明るい声で謝る桃子を前にして、私は妙に納得していた。一人は助言など不要なほど『源氏物語』に詳しい医学生であり、もう一人は『源氏物語』どころか古典文学自体にそれほど興味を持っていない文学部生である。二人は高校時代から仲がよく、遼子の研究室でお茶を飲んだり雑談したりして時間を過ごすことが多いのだと言う。まあいずれにしても、遼子にではなくわざわざ私のところへ質問に来るほど強い動機を持っているものではない。ゼミの学生じゃなくて、教養課程の一年生が質問に来ると言うから変だとは思ったけど、要するに桜という奴だな。どうもやはり何から何まで遼子と璃鴎が仕組んでいるらしいなと、私は半ばあきれ半ば感心した。彼女たちはきっとお昼においしい店でご馳走するという餌で釣られた鯛やひらめなのだろう。
そういう具合なので、11時近くには私たちはやることが何もなくなってしまった。私は仕方がないので二人にサイフォンでコーヒーを淹れてやった。私たちはコーヒーを飲みながらソファでくつろぎ、世間話をして時を過ごした。彼女たちは家の中のあらゆるものに関心を示した。