思われ-チェリー・ブラッサム・ピンク-

桜
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 住宅団地で最も広い通り沿いに門倉の家は建っていた。時折車がその通りを行き交う。その時以外はほとんど物音がしなくて静かな住宅街だ。私はかなりの台数の車が通り過ぎるのを見送って、やっと、相当時間が経過したことに気付いた。時計を見たら5分以上も待たされていた。しかし、一向にドアが開く気配はない。私は元来辛抱強いのだが、さすがにもう待ちきれないと思い、ドアチャイムを再度鳴らした。奥さんが出て、私にわびるともなく事実のみ簡潔に伝えた。
 「主人、寝込んでしまったんですよ。」
 私はここが勝負どころだと思い、持てる知力を総動員した。
 「奥さん、見舞いの相手は門倉がとても仲のよかった男なんですよ。怪我がひどくて、生きているうちに会うのはこれが最後になるかもしれないんです。門倉が私にお前も絶対に会っとかなくちゃだめだって説き伏せたんですよ。その当人が寝込んでいて行けないなんて納得できませんよ。大方昼間から飲んだくれて酔いつぶれたんでしょう。奥さんが起こしてもだめなら、私がたたき起こしますから、家の中に入れてくれませんか?」
 しばらくして奥さんの観念したような声が聞こえてきた。
 「わかりました。今開けますからちょっと待っててください。」
 ドアが開き、おどおどした様子で奥さんが上目遣いに私を見た。私は失礼をわびながら奥さんが用意してくれたスリッパをはいて、奥さんに言われた通りに、フローリングの廊下を一人で歩いていった。
 ダイニング兼リビングといった広々とした部屋の真ん中に、門倉が仰向けになって口を大きく開けて眠っていた。私にはまずその寝方が異様に思われた。近くには三人掛けのゆったりとくつろげそうな革張りのソファがある。酔っ払ってその場で眠りたいと思ったら迷わずソファを選ぶなと私は思った。それぐらい座り心地のよさそうなソファだったのだ。門倉は一見すると酔いつぶれているように見えたが、私がいくら呼び掛けても、いくらほっぺたを叩いても、身動き一つしなかった。耳を近づけると呼吸の音は聞こえたが、このままほっといたら大変なことになることぐらいは、私のような素人にもわかった。
 その時玄関で物音がした。奥さんが出て行こうとしているのだと気がつき、私は慌てて呼び止めた。
 「奥さん、どこへ行くんですか。門倉を早く病院に連れて行かないと大変ですよ。」
 何の応答もなかった。家の中は静まり返っていた。門倉の子供たちはどうしたんだろう? 全く何の気配もなかった。
 どうやら、調べてみるまでもなく、この家にいるのは、あまりにも異常な事態に立ち会って頭がしびれてしまった私と、意識を失った門倉だけのようだった。
 私は我に返って、ケータイで二つの所へ連絡を入れた。一つはもちろん消防署だ。もう一つは遼子の所である。消防署はすぐに通じ、私は見た通りのことを全て伝えた。ところが遼子の方はなかなか出なかった。ケータイを耳に当てたまま、何度か掛け直していると、玄関が開き、女の声が入ってきた。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 思われ-チェリー・ブラッサム・ピンク-
◆ 執筆年 2007年4月1日