ノベル

5
二人は、講義開始の寸前に教室に入った。四月にはほぼ満席だったが、今は三分の二ぐらいにまで減っていて、席はすぐ見つかった。開始時刻を二、三分過ぎた頃、初老の穏やかな教授が登壇し、アメリカ文学史について解説を始めた。二人とも真面目な学生だ。入学以来、一度もサボったことがない。予習、復習も欠かさずやっているから、テスト前になって慌てたことがない。だから、桃子などは期末テストの直前なのに、海に行けたのだ。アルバイトもしていない。小雪も桃子も茉梨絵も、教育熱心な家庭に育ち、親から存分に愛情と期待をかけられているのである。周りには、イヤホンで何かを聴いている学生やケータイをいじっている学生も、若干見受けられた。しかし、ほとんどの学生は、真剣に話を聞き、メモを取っている。小雪と桃子も丹念にノートに書き取っていた。
小雪はそれでも時々考え込んだ。(他の人に気づかれるぐらいに、表情に現れるということは、やはり相当深刻な事態なのではないか? 茉梨絵の言ってた、不思議な力を持つ男の子に会ってみたい気もするな。)
その日の講義を終えて、小雪はアパートに戻った。白百合ハイツ近くの橋を渡り、彼女は二階の自分の部屋を見上げた。いつもと変わらない情景だが、なぜか足がすくんだ。
「さて、テスト勉強、しなくちゃ。」
彼女は、自分を励ますように、そうつぶやいて、玄関ホールの中に入り、管理人室の前を通って、階段に一歩、足を置いた。
自分の考えに沈みこんでいた小雪は、誰かに名前を呼ばれていることに気づいて、階段に足を乗せたままの姿勢で、首をめぐらした。
管理人室の小窓の向こう側から、あごの細い、実直そうな、中年の管理人が話し掛けたのだった。
「松本さん、どうかしたのですか? 元気ないですねえ。」
物腰の柔らかいしゃべり方で、小雪の不安感も一時薄らいだ。
「こんにちは、おじさん。今週から期末テストが始まるから、憂鬱で。」
「松本さんは真面目だから、心配ないでしょう?」
「そんなことはないんですよ。」
数分間、立ち話をしているうちに、彼女の気持ちはすっかりほぐれた。アイボリーの軽そうなスカートを翻して、部屋の前に立った。ドアノブを握り、深呼吸してから、ドアを開けた。むわっと、室内にこもっていた熱気が体にまとわりついた。思い切って中に入り、エアコンのスイッチを押した。エコバッグから野菜を出して、簡単に調理した。
小雪はそれでも時々考え込んだ。(他の人に気づかれるぐらいに、表情に現れるということは、やはり相当深刻な事態なのではないか? 茉梨絵の言ってた、不思議な力を持つ男の子に会ってみたい気もするな。)
その日の講義を終えて、小雪はアパートに戻った。白百合ハイツ近くの橋を渡り、彼女は二階の自分の部屋を見上げた。いつもと変わらない情景だが、なぜか足がすくんだ。
「さて、テスト勉強、しなくちゃ。」
彼女は、自分を励ますように、そうつぶやいて、玄関ホールの中に入り、管理人室の前を通って、階段に一歩、足を置いた。
自分の考えに沈みこんでいた小雪は、誰かに名前を呼ばれていることに気づいて、階段に足を乗せたままの姿勢で、首をめぐらした。
管理人室の小窓の向こう側から、あごの細い、実直そうな、中年の管理人が話し掛けたのだった。
「松本さん、どうかしたのですか? 元気ないですねえ。」
物腰の柔らかいしゃべり方で、小雪の不安感も一時薄らいだ。
「こんにちは、おじさん。今週から期末テストが始まるから、憂鬱で。」
「松本さんは真面目だから、心配ないでしょう?」
「そんなことはないんですよ。」
数分間、立ち話をしているうちに、彼女の気持ちはすっかりほぐれた。アイボリーの軽そうなスカートを翻して、部屋の前に立った。ドアノブを握り、深呼吸してから、ドアを開けた。むわっと、室内にこもっていた熱気が体にまとわりついた。思い切って中に入り、エアコンのスイッチを押した。エコバッグから野菜を出して、簡単に調理した。