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集中講義

 うだるような暑さの中、高い樹木の幹に止まった蝉が、姿こそ見えないが、互いに競争するかのように、キャンパス中でわめき合っている。安普請な造りなので、カーテンを閉めても、ところどころに隙間がある。強くて白い日の光が、時折目に射し込む。大講義室の前方は、どう工夫しても、光の攻撃を防ぎきれない。
 「この部屋は本当にやりづらいわね。」
 湯本遼子がハンカチで目を覆いながら、不平を漏らした。彼女は文学部の准教授をしており、文学部二年生の共通講座として、『中古文学史概論』の集中講義を実施している。
 遼子が閉口していると、最前列に陣取っていた、茉梨絵と小雪と桃子が、クリップを上手に使って、カーテンに細工を施した。三人が黙々と作業している間、静まった教室内に、蝉の声が響き渡った。
 遼子を慕い、桃子は学科、茉梨絵は学部が、それぞれ違うのにもかかわらず、日に一度は三人で茶を飲みに来る。桃子は、履修可能ならば、遼子の講義を受講する。茉梨絵などは、全くの部外者で、本来なら履修することも出来ないはずのところなのに、遼子に眼をつぶってもらい、ちゃっかり聴きに来ている。しかも、最前列に席を占めて、他の誰よりも熱心な態度でノートを取っている。期末試験が終わって、夏休みに入った直後の五日間を、そんな具合に三人は遼子の集中講義を聴いて過ごしているのである。
 「ありがとう。」
 明るく澄んだ声で遼子が礼を言い、ハンカチを教卓に置き、講義を続けた。
 「小野小町というと、あなたたちは、絶世の美女で、才知に富んでいて、ひょっとすると、果たせぬ恋心に思い悩む女ではないかとまで思っているかもしれないわね。それも無理ないでしょう。高校ではきっと、〈思ひつつぬればや人の見えつらむ夢としりせばさめざらましを〉なんていう歌ぐらいしか教わって来なかったでしょうからね。夢にまで見るほど恋しいあなた、なんて歌を詠んだ才女というイメージしか持っていないのでは、確かに、伝統的な小町像を知るという点では、偏ったものになるわね。」
 そこまで聴いていて、小雪はどきんとした。
 (夢にまで見るほど恋しいあなた? 嫌だなあ。あのノートのことを思い出しちゃうじゃない。)
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 ノベル
◆ 執筆年 2008年2月11日