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 実のところ、小雪は今不安な気持ちを抱いてはいなかった。運送業者もいるし、母親もじきに戻るだろう。
 「先生、ご心配なく。私はもうここから出るし、母もすぐ戻るでしょうから。」
 「そう。ごめんね。すぐ戻るからね。」
 遼子の車を見送って、小雪は業者のスタッフと部屋に入り、荷造りの指示を出した。業者が大きな電化製品に取り掛かるのを確かめてから、彼女は寝室に入り、プライベートな物品を整理し始めた。
 彼女はふと予定を確認しようと思って、自分のカバンの中を見た。そのとたんに小さな悲鳴を上げた。あのノートが入っていたのだ。既に遼子に預け、二度と手を触れるはずのなくなったあの不吉なノートが、なぜか自分のカバンの中に入っていたのである。何かの手違いで自分のカバンに入ってしまったのだろうか? しかしどう考えても合点がいかなかった。彼女はしばらく呆然として椅子に体を預けた。目は机の上に乗せたノートの古びた表紙に釘付けになっている。とても開いて読む気にはならなかった。その時、少し開けておいた窓から強い風が入り、ぺらぺらとノートをめくった。彼女は見ちゃだめだと思ったが、その意に反して大きく見開かれた瞳は例の特徴のある筆跡をたどっていった。

  君は大変な過ちを犯したね。なにしろぼくとの約束を破ってしまったんだからね。そのことに関してはさすがに寛大なこの僕でも怒らないではいられないくらいだよ。それにしても頭の悪い女どもに相談を持ちかけたものだね。僕の作戦にまんまと引っかかって、誰一人としてここに残らなかったじゃないか。君のお母上はまだここへは到着していないよ。電車の事故で当分は来られないだろうね。えっ、引越し業者のスタッフが言ってたことと違うって? フフフフフ。あいつらは僕の言いなりだよ。隣の部屋をのぞいてごらん。奴らが一体何をやっていると思う? フフフフフフフフフフ。

 小雪は顔を上げた。顔面蒼白で筋肉がこわばっていた。そう言えば、業者の様子は変だった。さっきから物を運び出す気配はなく、隣室に居座って、何かしきりに奇妙な音を立てる作業を行っているようだった。
 「シャッ、シャッ、シャッ、シャッ、……。」
 その鋭い音は、聞きようによっては、小気味よく、リズミカルな響きだった。
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【--- 作品情報 ---】
◆ 題名 ノベル
◆ 執筆年 2008年2月11日