ノベル
30
作家志願
台風がまたやってきた。東京都にある島々に居座り、非常に遅い速度で本州に近づきつつあった。その影響で桃子たちのキャンパス内には川のように水が流れ、遼子の研究室は、昼なのに電灯を点けないといられないくらいだった。夏休みというのに、茉梨絵たちはいつも大学の図書館で勉強していた。休憩や昼食の時は、必ずといっていいほど遼子の研究室を使わせてもらった。遼子がいてもいなくても、この部屋の学生達は、これらの畑違いの女子学生達を歓迎してくれた。最も小雪だけは国文科なので、将来この研究室に入る可能性があるが。
「寒くなっちゃったね。」
役にも立たない傘を差して、キャンパス内のコンビニでパンを買ってここまで来たから、三人とも服がびしょぬれだった。茉梨絵が淹れてくれた紅茶の温かさが、真夏だというのにとてもうれしい。
「本当だよ。温かい紅茶がとてもおいしい。ありがとう茉梨絵。」
「桃子、明日からダイブに行くんだっけ?」
サンドイッチの包みを開けながら、茉梨絵が少し意地悪な視線を向けた。
「ついてないよねえ。また台風が来たよ。あーあ、今年はオープンウォーター、無理かなあ。」
「桃子ちゃん、ダイビングやっているんだ。いいな、俺もやろうかな。」
三年生で湯本ゼミの男子学生、関がうらやましそうにしていると、ノックの音がした。
事務部の職員が郵便物を届けてくれたのだった。遼子は、茉梨絵達が買ってきてくれたパンをほおばりながら差出人をチェックし、そのうちの一つを桃子に手渡した。
「桃ちゃん。佐藤さんから届いたわ。開けて読んでみて。」
皆の視線が、ごくありふれた白い便箋を持つ桃子の手元に集まった。高校生のときに、英語のスピーチコンテストで全国大会に出場したことがある桃子が、美しい発音で手紙を読んだ。
奈良に住む佐藤隆弘の父親からの丁重な詫び状だった。直接小雪に出すのは生々しいと思い、その師匠であり、なおかつこの件を見事に解決してくれた恩人の母親でもある、遼子に宛てて出したのだろう。